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<高氏文庫義解>



「僭偽列伝 冉閔」後書と資料

 はっきりいって結果(登場人物と、その生死など)の他は、史料と違います(会話や考えなど)。
 さしあたって、ここに補足しておきます(あいかわらず、あんまり説明を入れませんでしたので)。
 西晋は、三国時代を終わらせました(280年)。しかし八王の乱(290〜306)を起こし、永嘉の乱(311)の後、漢(匈奴の劉氏)に倒されてしまいます(316)。漢は前趙(同)に代わり、後趙(羯族の石氏)に滅ぼされました(329)。その後趙を石勒が立ち上げ(319)、石弘が継ぎ(333)、石虎が奪い(334)、石世が続け(349)、石遵が掠め(349)、石鑒が盗み(349)、冉閔が壊してしまいます(350)。石祗が少し延ばしました(351)。
 冉閔【ぜんびん】。歴史的仮名遣いの漢音で【ぜむびん】、呉音で【ねむみん】です。中国上古音で【ニアムミエン】?。現代中国語音は【ランミン】に近い。
 彼のつくった魏は十六国のひとつに数えてもらえません。
 冉閔、もと石閔。字を永曾、小字を棘奴といいます。
 父は石瞻、本姓名を冉良、字を弘武といい、魏郡内黄(河南内黄)の人。その先は漢の黎陽(河南浚東北)の騎都督で、累世(代々)牙門(将家?)であったといいます。冉良は十二歳で石勒にひろわれ、石虎の子となったとか。左積射将軍・西華侯を歴しました。328年8月、戦死(敗死?)しています。30歳前後でしょうか。
 閔の祖父は冉隆。不明です。
 母は王氏。つまり石瞻の妻。
 妻は董氏。
 妾は仇氏。仇嵩の長女で、仇氏は閔の死後、慕容家に仕え、盧家に転じました。盧家は北魏の臣下です。
 閔の子供たちは智・胤・明・裕。このうち胤は殺されました。ほか冉操なるものがいます。これは不明。
 いくつかの漢字が出せませんでしたので、偏などの省略か、似た字で表示しました(例。言・焦→焦。王・昆→混か崑……史料において、そのように使っている例もあります)。
 大趙・大魏の都はギョウ[業・おおざと]です。いま河北臨ショウ[さんずい・章]西南。
 襄国は河北ケイ[刑の旁・おおざと]台の西南。
 聶頭【じょうとう】(聶はさんずいか?)は河北棗強【そうきょう】の東北。
 龍城は遼寧朝陽。
 姑臧【こそう】は甘粛武威。
 枋頭【ほうとう】は河南浚の西南。
 薊【けい】は天津の薊。
 幽州は北京あたり。
 読みにくくなるので、以上のような地名の注を入れませんでした。市・県・地区など表示しないのは、正確にわからないからです(同名の市と県の場所がずれていたり、遺跡になって埋まっていたりするので。ギョウなどは洪水で流され跡形もないとか)。

 冉閔の即位儀は今回、『宋書』(巻14礼志1南郊)を参考にしています。長くなるので途中で切っちゃいました。即位の日は適当。
 親征儀は「後斉(北斉)天子親征」を『隋書』(巻8礼儀3)から採っています。

 楽器を出しました。しかし、いいかげんです。後の時代の史料『宋朝事実』から採りました。

 篳篥【ひちりき】(違う文字あり)などは、この十六国時代に西域から入ってきた楽器なので、まだ早かったかな。それに漢人の冉閔にふさわしくありませんね。
 
 大角は辞書・辞典になく、近いものに銅角・小銅角・大銅角・号筒(号通?)・長鳴などがあります。とくに小銅角を喇叭、大銅角を号筒というとか。このなかで小銅角・喇叭はスオナのことらしいのです。
 スオナは漢字で[口・小・貝]吶と書きます。この漢字は日本語の発音で【さない】【さとつ】。イランのスールナーイという楽器がもとです。これは日本でチャルメラといわれるもの。
 ただしチャルメラはシャラメラ(ポルトガル語)の訛りで、シャラメラはシャリュモー(フランス語)のことでクラリネットの先祖です。スールナーイは、たとえればオーボエでしょう。クラリネットはリードを一枚、オーボエはリードを二枚使います。リードは葦などで作られた振動板。だから日本のチャルメラは、名前のもととなったシャリュモーでなくスールナーイのことです。
 このように中国の喇叭はオーボエの仲間。日本のラッパはトランペットですよね。リードでなく唇を振るわせて音を出します。
 そうなると大銅角・号筒はトランペットのようなものなのでしょうか。
 絵のみで実物を見ていないので、けっきょくわかりません。私は大角をトランペット(バルブなしの直管)であろうと考えました。しかし説明に使うならトランペットよりはラッパ。でも中国の喇叭は違う。それに喇叭・ラッパという言葉は意味不明・使用時期不明です。さらに初めから角とあるから角笛を連想してしまっていましたので、安易に「(ホルン)」と書きました。
 ふつう円いのをホルン、まっすぐなのをトランペットという感じですね。現代中国語はホルンを円号、トランペットを小号、トロンボーンを長号というとか。けれど楽器の資料などにおいてホルンとトランペットは、近現代ヨーロッパのものを除いて、古代や中世、民族楽器について説明する時、混同しています。区別の仕方は円錐形か円筒形。これも厳密でありません。すなわちトランペットもホルンも、日本的に言うのなら、ラッパです。
 チベットにジャンドゥン(ドゥンチェン・ラグドゥン)という楽器があります。長くて、ベル(あさがお。先の広がった部分)のところを上に曲げてあり、アルペンホルンのよう。しかし小銅角も大銅角もこれと違うようです(短くベルの形が違うらしい)。
 結論として大角は、西洋的・現代的に言うならば、オーボエかトランペットであったのしょう(だったらホルンなぞ言わず、時代錯誤かもしれないのだから、書かなければよかったのでは?)。
 つけくわえると、角は音名「ミ(E)」に使われます。

 皇后など女性の服飾を、もっと詳しく書こうと思いましたけれど、むずかしいのでやめました。

 伝国璽は、実を言うと、ほとんど用いられていません。封禅の儀に使われるぐらいでしょう。皇帝は伝国璽のほか六璽をもっており、こちらを使いました。五代以後は王朝独自の“……受命之宝”など造っています(北宋の場合、諸帝ごとに造ったとか)。

 仏図澄と道安は仏教史上の有名人なので、とりあえず名前だけ出しました。

 いちおう使った史料・資料を提示しておきました。話のほうは故あって『資治通鑑』をもとにしています。
 史料(書名・著者名・成立最終年とおもわれるもの)
  『ギョウ[業・おおざと]中記』陸カイ[歳・羽]・419年以前
  『宋書』沈約・488年
  『〔梁〕高僧伝』慧皎・519年 
  『十六国春秋』崔鴻・522年ごろ?(散逸。『太平御覧』などに逸文あり)
  『水経注』レキ[麗・おおざと]道元・527年以前
  『魏書』魏収・554年
  『隋書』魏徴など・636年
  『晋書』房玄齢など・648年
  『通典』杜佑・801年
 (『太平御覧』李ホウ[日・方]など・983年)
  『資治通鑑』司馬光など・1070年
  『通志』鄭樵・1162年
  『十六国春秋』屠喬孫と項琳・明時代の偽本

 資料
  『中国の帝都』村田治郎・1981・綜芸社
  『東洋服装史論攷 中世編』杉本正年・文化出版局・1984

 五胡
  匈奴 戦国時代からモンゴルに居た遊牧民
  鮮卑 漢代から遼寧・内蒙古に居た遊牧民
  羯 匈奴の別種
  テイ[低の旁] 漢代から甘粛・陝西・四川に居た農耕・遊牧民(チベット・ビルマ系?)
  羌 商代から青海に居た遊牧民(チベット系?)

 十六国 国号(族)創始者・年 *途中で代わった王朝
  漢(匈奴)劉淵・304〜318 *前趙(匈奴)劉曜・318〜329
  後趙(羯)石勒・319〜351
  前燕(鮮卑)慕容カイ[广・鬼]・307〜370
  後燕(鮮卑)慕容垂・384〜409
  南燕(鮮卑)慕容徳・398〜410
  北燕(漢)馮跋・409〜436
  前秦(テイ)苻健・351〜394
  後秦(羌)姚萇・384〜417
  西秦(鮮卑)乞伏国仁・385〜431
  前涼(漢)張軌・301〜376
  後涼(テイ)呂光・384〜403
  西涼(漢)李コウ[日・高]・400〜421
  南涼(鮮卑)禿髪烏孤・397〜414
  北涼(漢)段業・397〜401 *(匈奴)沮渠蒙遜・401〜439
  夏(匈奴)赫連勃勃・407〜431
  成(テイ)李特・304〜337年 *漢(テイ)李寿・337〜347

 私は「皇天順ならず」や「僭偽列伝 冉閔」(「大金国滅亡」「老人と少年」「僭偽列伝 袁術」は違います)の中で日本語においての尊敬語・謙譲語などを使っていません(“おっしゃる”とか。“です”“ます”の丁寧語は使っています。漢語のみ。たとえば“陛下”)。「内容も要約文のようであり唐突でしょう。さいきん会話を多くしています(ただ行数を稼いでいるだけのような)。また史料に使われている漢字を使っているので(以下でなく已下など)、読みにくいだけかもしれません。それに漢字の音訓を書いてない。それと戦闘場面を少しぼかしています。ほかに主人公は予言をしません。つまり未来から過去を見ていないわけです。
 つまらないかもしれませんけれど、こんなものもあるのだと思って、赦してください 頓首再拝


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