皇天順ならず(高汝蓮)第6話

 天錫皇帝の柩の置いてある殿。柩の前に案が在る。案上の香炉から煙が昇っていた。
 クリブが百官に会し、告げる。
「天錫皇帝の遺命を奉じ、徳妃を立てて皇太后と為し、かりに軍国事を主【つかさど】らせ、秦王を奉迎して帝と為す。この議に従う者は、名と押字(花押)を書いていただきたい」
 久しくして虞仲文が言う。
「敢えて一つの異の有る者は無いようです」
 張琳と徳妃が案の前に立っていた。官僚が匣を捧げ持ってくる。張琳は官僚から匣の中の玉璽を受けとり、それを徳妃に授けた。徳妃は跪いて受ける。妃の傍らに幼い子が立っていた。妃は、その子を皆の前に引く。百官は舞踏し万歳を三称した。官僚が書を読む。
「天錫皇帝を燕京の西、香山(北京西北)に葬る」
「徳妃を冊して皇太后と為す」
「建福を改め徳興元年と為す」
「北院枢密使蕭幹は援立の功を有するのを以て、封じ越王と為す……」
「進士李球……ら百八人を放つ(任命する?)」
 しばらくしてクリブが奏した。
「皇太后の命で李処温を召しましょう」
 皇太后は頷く。
 独り李処温は後から至った。クリブらが迫ろうとする。皇太后が小声でのべた。それを近侍が語る。
「時は、まさに多難。いまだ即誅することを欲しない。その罪を赦す」
 李処温は鞠躬して下がった。
 クリブが言う。
「それで善いのですか? 彼が兵柄を執るということになるのですよ」
 皇太后は直に話した。
「わかりました。ただ追って元帥宣箚(上から下への命令書)を毀【こぼ】つのみにしましょう」

 夕、皇太后は幼い新皇帝と群臣を率いて、宣宗皇帝の柩を収めた殿に入る。皇太后らは柩前の案で三かい奠(香をあげ、酒をおき、食べ物などを供える、か?)を致した。皆、柩を奉じ、殿の西北の門を出、車に就【つ】ける(おもむく)。これを巫者が祓除した。おくられるところの器・服が殿に置かれ、霊柩が車に升される。
 詰旦、数人が車を推し、城門を出、燕京を離れた。
 車はゆっくり進む。
 久しくして祭所に至り、めすのひつじが刑される。皇太后と幼帝は喪服(斬衰か。粗い麻布で下辺を縫っていない)で、五かい奠を致す。巫が祈り禳【はら】い、群臣が白い衣・巾を被り、その次に祭を致した。衣・弓矢・鞍・勒【ろく】(くつわ)・図書・馬・駝などの物の数が、官僚によって読まれ、すべて、もやされる。
 山陵に至り、霊柩は車から降ろされ、輿に就く。葬り畢【おわ】ると、皇太后は哀冊の書を上った。そのあと皇太后が幄に御し、火を改めてつけなおさせ、火に面して奠を致し、三拝して、また東を向き、天と地を再拝した。
 夕、皇太后は陵寝(みたまや?)に入り、遺物を大臣らに授ける。訖【おわ】ると、馬に乗り、送葬者を率いて、神門の木(とりいみたいなもの?)の下を過ぎ、東を向いて、また、再拝。
 翌日、皇太后は幼帝と群臣・その夫人らを率いて拝し祭る。陵を三匝【めぐり】循【めぐ】って降り、還った。

 その日、百官は昧爽に宮殿に赴く。彼らの服は広袖であった。殿庭に宮懸(楽器)がならび、西の廊下に、冊をおいた案と宝(玉璽)をおいた案が置かれ、幄(幕)が設けられている。皇太后と幼帝が官僚に引かれて幄に至った。ふたりは寛衣・くろい帯である。百官は班を分かれて、別の官僚に引かれ入る。冊の案と宝の案が殿に上げられ、西の階の褥位【じょくい】(しきもの)に至る。皇太后と幼帝は引かれて西の階から殿に升【のぼ】った。楽が作【な】され、皇太后が位(位置)に至って立つと、楽は止まる。皇太后は鞠躬して再拝。位に陪する(その場所に付き従う)者は皆、再拝した。官僚が玉杯を進める。皇太后が再拝し、神座(位牌みたいなものが置いてあるのか?)前に至り、跪き、玉杯で奠を三かい。楽が作される。おわって、位に復す。楽は止まり、皇太后が再拝すると、位に陪する者は皆、再拝した。皇太后が神座前に引かれて北面して立つ。冊の函を捧げもってきた者が蓋を去り、前に進んで跪く。冊の案は退けられ、殿の西壁の下に置かれた。ある官僚が引かれ前に進み、俯伏し、跪いて冊を読む。
「諡を考章皇帝といい、廟を宣宗と号し、陵を永安とする」
 読みおわると俯伏して、興きあがり、位に復した。冊の函を捧げもつ者は、それを案上に置く。宝の函を捧げもつ者が前に進み跪いた。べつの官僚が跪き、宝〔に書いてある文字〕を読んだ。皇太后は引かれて褥位に至り再拝する。位に陪する者は皆、再拝した。皇太后と幼帝は引かれて幄に帰る。楽が作され、幄に至ると楽は止まった。百官も班を分かれ出る。

「この者から何か有るそうです」
 虞仲文が言う。官僚の一人が跪いて奏した。
「或るものが告げて云っています。処温父子は潜かに童貫に通じ、皇太后を挟み宋朝に帰しようとしている、と」
 クリブが謂った。
「何ということだ! イリビ院や御史台か警巡使に令しろ。燕京に新たに入って来る疑わしい者を、すべて探索させよ」
 やがて兵が報じる。
「常勝軍の郭上将軍に随って燕に入った永清(河北永清)人を擒にしました。処温は嘗て易州(河北易)の富民を遣わし、書を宋将童貫に達しさせ、皇太后を挟んで納土して宋に帰しようとした、と、その者は具に言っています」
 李処温が執らわれ引かれてきた。皇太后は彼に問う。
「何故ですか?」
 処温が言った。
「臣父子は宣宗において定策の功を有しています。宜しく世に(代代)宥容を蒙るべきです。讒を以て、罪を得るに当たりません」
「……さきに、宣宗をして周公の如くさせていれば、親賢の重名を後世に享ける者として終わっていました。どうして太寧王や楚国王(ともに遼の親王で謀反して誅された者)に勝らないでしょうか? 宣宗を誤らせたのは、すべて汝ら父子です。何の功が有るのですか!」
 処温は対【こた】えなかった。官僚の一人が述べる。
「死を賜い、その子を斬に処し、その家資を籍する」

 宮殿に百官が集まり、待っている。そこへ兵らが来て、奏した。
「李処温の私第に至ったところ、趙良嗣なる者から李処温への書、また処温の子に与えられた書などと、銭七万余貫・金銀珠玉を得ました。話によると、これらは、すべて自ら宰相と為って数月の間に、四方からの賄賂の公に行われて得るところである、ということです」
 また、官僚が告げる。
「李処温が接引したことのあるところの者を鞠【きく】した(しらべた)ら、次のことがわかりました。趙良嗣は、もと燕人の馬植というもので、本人は遼国の大族で、仕えて光録卿に至ったと言っていたそうです」
 皇太后が語った。
「張太師・左司徒、知っていますか?」
 皆、首を傾げる。官僚が続けた。
「天慶元(1111)年の九月、宋から童貫が大遼に使として出ます。盧溝(北京西南)を道したとき、馬植は夜に童貫の侍史に見えました。自ら燕を滅ぼすの策有りと言って、因って童貫に謁するのを得たようです。童貫は彼とともに語って、大いに奇として朝に薦めました。馬植は宋に帰して姓名を易【か】えて李良嗣というようになります。そして何と、宋主に召見し、大遼は必ず亡ぶ、中国は往昔の疆を復すであろう、などいったそうです。宋主は嘉して、これを納【い】れ、国姓趙氏を賜いました。また、馬植は旧く大遼に在ったとき、李処温と莫逆の交を結んでいたということです」
 皆が大声で叫んだ。
「そのていどのことで宣撫使童貫や宋主道君皇帝は敗盟して兵を送ったのか?」
「天慶元年といえばジュルチェンの挙兵前であろう!」
「まさか、アクタの僭号も彼らの謀か?」
「このことを李処温は初めから知っていたのだな」
「李処温は大遼から燕を裂き、宋に納土する為に、宣宗を擁立したのか?」
「宣宗は何故に李処温などを寵任したのか?」
「李処温は賄賂を得ていた。すなわち贈った者が居るはずだ。もしかしたら、この中に?」
「内応者が有るのか?」
 百官は相顧みた。
「止めよ!」
 左企丘が告げる。皆、黙った。


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