皇天順ならず(高汝蓮)第46話

その地は、甚だ坦夷(平坦)、饒沙(砂の多い状態)である。ハク[白・十](黒い)車・氈帳の数百が列を成し坐していた。
タイシらが至る。
牙帳(本営)は周囲に槍を卓し(立て)毛縄を用いて連繋させ寨と為っていた。槍の下ごとに黒い氈(毛織物)の傘ひとつ。
「ハサン?」
巻き髪、深い目。眉は脩まり(ととのっており)濃く、眼や睫【しょう】(まつげ)より下がっている。その者は指を以て、傘を示し、やがて頷き、多いキュウ[虫・糾のつくり]髯(まがったひげ)を撫でた。
「彼に何と説いた?」
タイシが問う。
ハサンらは拱手した。従者の殆どは深目・色黒・多鬚・高鼻。他にキタン人と変わらない者もいる。
「もちろん、あの傘は衛士を風雪から庇【かば】っているのだ、と」
「ほう。何語だ?」
フティンが巻き髪の者を眸を凝らした(じっと見た)。
しかし笑うのみ。
テゴが前に出る。
「大食語か? 波剌斯語か?」
「は?」
「違うのかい!」
また従者が何かをしゃべる。
「どうした?」
「ここが“クス=オルド(力有る宮)”かと」
「!?」
「入ろう」
フティンが慌てて謂う。さらに衛士が鞠躬して奏する。
「梁宋大長公主が来ています」
タイシはフティンを顧みる。
「どうしてだ!!? 天祚の営に遷したはずだ?」
「那辺【なへん】(あっち)は危ないとかで、帰ってきた」
「帰ってきたあ?」
テゴが大声を出し、戸を開く。
広い穹廬の中、奥に女らが在る。離れて書を抱えた者が侍していた。
「あんなにいっぱい! 李球もいますよ?」
「ああ! 忘れていた」
「タイシ=リンヤ、遅いですよ」
タイシらは拝した。ハサンらも鞠躬した。
「西域賈胡が留まるとのこと。話を聞きたい」
「……」
タイシらは左右に分かれ坐った。
侍女が起き、商人らを氈に坐らせ、茶を勧める。
「何故、ここに?」
タイシが尋ねた。
ハサンが答える。
「金国は商賈に西へ帰ることを許していません。しかし我らは上京から燕京へ行くところでした。そこに張敦固の兵が」
「ふむ、そこで燕京へでなく、ここに来たというわけか」
フティンが頷いた。
「さて、どうしょうか? 爾らが国を去ってからの歳月は? 経た所は何国かな?」
ハサンが対【こた】える。
「我ら国を去ること三年、経た所は数えられない」
「ほう……何処から大遼国に入った?」
「青唐(青海西寧)から」
「? 青唐と大遼は境を接していない」
「青唐・河西(西夏)・宋国の境を通ってきました」
「河西を過ぎなかったのか?」
「夏人は率十にして一を指し(一割)、必ずその最上のものを得ようとします。賈人は皆これに苦しんでいました」
「真に青唐を渉ったのか?」
「これを」
ハサンは懐から袋を取りフティンに提す。フティンは、それを受け開く。
「……塩?」
「はい」
フティンがタイシにわたした。タイシは掌の上に少し塩を出す。その色は青みがかっていた。タイシは侍女に袋を授け、侍女は公主に奉る。
「青唐から西に行くこと四十里。金林城に至り、さらに城を去って青海へは善馬で三日にして到ります。海は数百里の広さ。その水は鹹【かん】(しおからい)ゆえに食せません(飲めない)」
タイシは塩を舐めた。
「うむ」
「……青唐城に至ると、城は湟水の南に枕し、広さ二十里、傍らに八門を開いている。中に隔城有り。城主の居城です。門に……二重のショウ[言・焦]楼を設けていました。〔その〕後に中門を設け、〔またその〕後に儀門を設けています。門の東は契丹公主の居る所、西は……夏国公主の居る所でした。儀門を過ぎること二百歩で大殿と為ります……」
「契丹公主!? リンヤ、このハサンが語るように、かつて青唐に公主を下していたのですか?」
「吐蕃だ。エンシャン部署」
「吐蕃?」
タイシ=リンヤは傍らに侍していた者を召す。その者は頷き牙帳を出た。
「李令史、書を……」
李球が起き、タイシの前に趨り、跪いて数冊の書を掲げる。タイシは両手で受け、一書を開いた。久しくして説く。
「吐蕃は唐末、……自ら衰弱し、族種の大なる者は数千家、小なる者は百十家に分散して、復た統一する無く……とある。しかしギャル=スラというものが青唐に徙【うつ】り居し、しばしば奇計を以て、李元昊を破った。元昊は遂に敢えてその境を窺わなかったとか」
「李元昊?」
「夏国王だ」
「夏国王を退けたのですか!?」
「故に諸国の商人は皆ゼン[善・おおざと]州(青唐)に趨り貿売していました」
ハサンが言った。タイシは書を閉じる。
「そのギャル=スラの地も既に分かれ、南朝(宋)に没した」
女らはハサンらを熟視し小声で笑っている。
ハサンは苦笑した。
「ところで爾らは何国人なのだ?」
「フティン都統、これは、これは。……何のことでしょう?」
フティンは、李球の傍らに置かれた幾つかの書を取り読む。
「ええと……これか……颯秣建国、唐に言う康国は、嘗てソツ[穴・卒]利人の地で、突厥に従属していたという。やがて大食国が波〔剌〕斯を撃破し、また払林(林はくさかんむり)を破り、さらに婆羅門諸国を呑みこんだ。その時、康国・石国は皆臣属した」
「??」
「ならば康国こと爾らの言うセミスケントは大食国の治める所か?」
「はあ? さもきえん? すり? それと……何でしたっけ?」
ハサンに尋ねられてフティンも困ったふう。
「う〜ん、はし……ふりん……ぽらもん、でなく……」
「ブラーハマナ」
戸の前に年少二人が立っていた。拱手・鞠躬する。
「リンヤ、彼らを召したのか?」
「大食語を識っているかな、と惟って」
「そうなのか、サバ?」
サバはタイシに頷き、年少を自らの傍らに坐らせた。
「ディリ、いまのは」
「印度の語です」
「印度!? また、増えた。サバ郎中、こいつらは幾国語をしゃべるのだ?」
「知らん。テゴ、汝も習え」
ハサンが話す。
「キタイの言う大食は如何なる国でしょうか?」
「キタイ? キタンだ」
「きた……い」
「キタンだ!」
「キターイ、カター、カターイ」
ハサンの後にいた色黒の者が口を開く。
「何だ?」
「はい。彼はムハンマドと称します」
「ほう」
ムハンマドが鞠躬する。
「ええっと、颯秣建国だな。その国の男児は黒くして鬚多く鼻大で長〔身〕である」
皆、ムハンマドを見る。
「女子は白晢【はくせつ】(色白)、行くのに必ず面を障【さえぎ】る(覆う)」
ハサンらが頷く。
「日に天神を五拝し酒を飲まず楽を挙げる。礼堂有りて数百人を容れる。七日の率(わりあい)で王は高きところに坐り説法を下して曰く。敵に死する者は天上に生まれ、敵を殺すは福を致す、と。故に俗は戦闘に於いて勇である。土〔地〕は沙石多く、耕種に堪えず。ただ、駝・馬を食らい、豕肉を食らわず。云云」
「それはムスリムだ。イスラームの教えである」
ハサンらは喜んでいるようであった。
「ムスリム、イスラーム……。上京のウイグル人も、その語を説いていた」
フティンが書の葉をめくる。
「……末換以前の種人、これを白衣大食と謂い、阿蒲羅抜の以後を改めて黒衣大食と為す」
「あぷらぱ……はアブー=ル=アッバースのことか?」
ハサンが敷いてある氈を軽く手で叩いた。
「もくわん、マルワーン?」
「うん、うん」
ムハンマドがつぶやき、ハサンらが頷いた。
「話が合ったようだな」
「いいえ、我らは彼らを大食などとしません」
ハサンがムハンマドを顧みる。ムハンマドが言う。
「たし? タージーク?」
「そう、タジク」
「タジク? 何だ、それは?」
「セミスケントに住む者で、彼らは耕種し、畜牧しません。いまサルターウルなどと称される者もいます」
「サルタークタイ」
「ああ、もう。……さて……ええと、とにかく爾は誰なのだ? ただの商賈でなかろう?」
「ハサン、×××。×××」
「へ? ディリよ、ムハンマド……とやらが……何と言った?」
「……わかりません」
「ハサンは王子……たぶん」
「トゥデもだめか。サバ?」
「我も解らん。ハサン、自ら告げよ!」
ハサンでなくムハンマドが語る。
「我……ハサン=ティギーンはカーガーンの子。ヌーハの子ヤーフィスの子孫、アフラーシヤーブの後裔」
「ムハンマドとやら、汝はキタン語をしゃべれたのか!?」
ムハンマドやハサンらが笑う。
「……なぜウイグルと称した? 確かにウイグルの商販は上京の南門の東にウイグル営を置いて居していた。しかし、また諸国商人も雑居していたぞ」
「蕃・漢の市を為す者は、ウイグル人がカイ[人・會](仲買)を為すに非ざれば、則ち售【しゅう】価(値段を決める?)できないのです」
「そうであったかの?」
「……そのタジクは? 波剌斯とか払林とか、どうなったのだ?」
テゴが問うた。
「ぱらす、はファールスかなあ。ふりん、は」
ハサンとムハンマドが相、談じる。
「ブーリン!?」
「おお、イスタン=ブーリン!」
「いすたん?」
「ほかにアスタンブールとか。我らはクスタンティーニーヤと言う」
「それは何処で、何人が居るのだ?」
「遠く西に在る。ルーム人の国。タクフールが治める」
「誰?」
「西の皇帝だ」
「東の皇帝は?」
「ファグフール。キタイでなくシーンの皇帝だ」
「シーン?」
「宋のことです」
「キタンは? 大遼皇帝は何とする?」
「カガン……ハーカーン……カーハーン……カーアーン……カーン……カン!」
ほかの商人らも笑いながら告げた。
「その……ブーリンか?……の西は、どうなのだ?」
「海を越えてファランジの国。よく知らない」
「爾らの国は誰が治めているのだ? 国号は?」
「城ごとに皆、長を立ている。国号などない。しかし、その地をトゥルキスターンと為す」
「そこにセミスケントは在るのか?」
「マー=ワラーア=ン=ナハルに在る」
「何?」
「河のうしろの地」
「河だと?」
「ジャイホーン。オクソスという者もいる」
「そこはトゥルキスターンと異なるのか?」
「トゥルキスターンはサイホーンより東だ」
フティンは困ったようす。
「う〜ん。いちど図に描いてもらおう」
「……ところで大食は? どうしたのだ?」
「テゴ、何でそこにばっかり」
「……大食はウイグル国の西にあったはず。なれならば爾らが国のことであろうに……。うーん、その……先ほどの……何と言ったかな……阿蒲羅抜の後はどうなったのだ?」
「バヌー=アッバース(アッバース王朝)は……」
「……どうした? 衰退しているのか? 滅んだのか?」
「まだ存する。しかし」
「かの王号は何だ?」
「アミール=ル=ムーミニーン」
「なんだ、それ? ……疲れてきたな」
フティンがリンヤを顧みる。
「リンヤ!」
タイシが女らを顧みた。
「大長公主、何でしょうか?」
「厭きた」
「……酒食を運ばせましょう」
「それまで聞いておこう」
フティンが続ける。
「例えば大都城として?」
「セミスケント・ブカラ・タラス・タシケント・コジェント・カシガル・ベラサグン……などなど」
「サマルカンド・ブカーラー・タラーズ……カーシガル・バラーサーグーン」
「……捕褐か? 多邏斯……裴羅将軍?」
ハサンが告げ、ムハンマドが足し、李球が書から推しはかる。
「大君主は?」
「サマルカンドにカガン、ガズナのアミール、グーリスターンはマリク=ル=ジバール、あとコラズム=シャー……」
「クワーリズム=シャー……」
「貨利習彌伽のことか? ガズナ?」
「鶴悉那というのがあるぞ? ……ああ、もう、わからん」
諸書を次つぎと開いていたフティンと李球は、遂に投げ出した。
人が入る。食物を置く。歌を唱う。琴瑟を弾き和す。
タイシがハサンに問う。
「その中で最強なのは誰か?」
ハサンが答える。
「セルチュク」
ムハンマドが言い換える。
「サルジューク」
ハサンが加える。
「……のスルターン=サンジャル」
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