皇天順ならず(高汝蓮)第36話

 泊(湖)の辺に、多くの羊と数騎。
 そこへ一騎至る。
「リンヤ、なにをしているのですか?」
 オリラは轡を並べた。
 タイシが五子を携え(連れ)羊を逐【お】う。
「見てのとおりだ」
「どうしてリンヤが?」
「子らに教えるために」
「しかし……」
「畜牧はキタンの旧俗。知っていなければならない」
「それはわかります。なぜ、リンヤがしているのですか? 羣(群)牧人にまかせておいてください」
「その羣牧はクレルの営の者だ。食を給わるほうとしては、何かしなければ、と思ってな」
「……」
「卿こそ、使を遣わさず自ら来たのか?」
「人がいません。それに、この営の者を信じてよいものかどうか」
 タイシが子らに手をふる。ひとりが頷き、ほかの子らを少し離した。
「それで?」
「斥候からの報です。盧彦倫の上京拒守は七〔カ〕月にわたったそうです。ジュルチェンの援兵に会うに至り、すでにマゴ都統は囲みを解いて去ったとか」
「七月! そうか……」
「ジュルチェンは奚を皆討ち平らげたと。奚人は次いで付属したものをひきいて、各ミンガン(千夫長)・ムケ(百夫長)を置き領させているようです」
「中京もむりか」
「あと……、高麗は乾統三年(1103年)からジュルチェンと通好しているとのこと」
「……二十年前か」
 タイシは遠くを見る。
 羊が草水を逐っていた。

 穹廬の前、氈を敷き、タイシと子らが坐っている。上に帳幕を張っていた。
 テゴとスンシャンが至る。
 子のうちのふたりが立ち、拱手して言う。
「拝揖(こんにちは)」
「うわあ!」
 テゴが身を引く。
「どうした?」
「こんな子まで漢語を!?」
「妻が教えた」
「え!? ……やはり、もったいない」
「……」
「おい、テゴ!」
 スンシャンがテゴを叩く。テゴはあわてて坐り書をのぞきこむ。
「何を読んでいるのですか?」
「虞参政の信書だ」
「信書?」
「ああ、我らが燕京を去ったのちのことを、ここに記している。書を講〔義〕するのに、ほかになかったものだから。それに書を写倣(習字)する筆・紙もない。トゥデ、読んでみろ」
 子のひとりが書を持つ。
「十二月初五日、蕭妃が古北口から去る。都監ガウリウらは金主に款を送った(内通した)。金主は径【ただ】ちに城下に至る。ガウリウや統軍イシンらは門を開いて待つ。金主は入城し降を受ける。我らは、なお知らずに守具を修〔理〕しょうとしていた。にわかに、金人の前軍が、すでに登城していると報じられる。金主は南門から入り、ルスらを使わし陳べる。やがて金主は燕京城南に駐蹕した。初六日、我らは迎え降るため、丹陽門毬場内に出る。金主は戎服にて坐っていた。我らは万歳を呼び、表を奉じ、叩頭し、罪を請う。訳者が言った。金主は一切これを釈し、旧職を復し、皆に金牌を受けさせる、と。初七日、金主は徳勝殿に御し、群臣は賀を称えた。金主は、左企丘を守太傅中書令、某(虞仲文)を枢密使侍中秦国公、曹勇義を旧官と守司空、康公弼を同中書門下平章事枢密副使権知院事簽中書省とし陳国公に封じる。番漢群臣に乾元殿において大宴を賜った」
 スンシャンが大声を出す。
「なんだい、かんたんに降りやがって! おれらがどんなに苦しんだか。食うに食えず、追いかけられ、逃げてばっかりだった。ノウオマ(国母)は殺されるし、ジュルチェンにつかまるわで……」
「ことばが乱れているぞ。子らの前だ。慎むように」
 タイシが静かに告げた。
 スンシャンが子らとテゴを見る。子らは笑いを堪【こら】えているかのよう。テゴは、さっきされたようにスンシャンを叩く。
「それに、ノウオマのこと、擒になったことは我のせいだ」
 テゴは俯服した。スンシャンもつられて鞠躬する。
「ところで、何のようだ?」
「あ、そうだ!」
 スンシャンが己の頭を叩く。
「ジュセの使と接しました」
「! できたか! それを早く言え」
「はい、すみません。それと梁王が自立したのはコリ水とのことです」
「まだ天祚は梁王を認めていないのか?」
「そのようです」

「止めましょう」
「どうして?」
 タイシが話し、フティンが問う。
 穹廬の中、灯が少なく、暗い。そこにオリラ・テゴ・スンシャンも入り坐る。
「ウキマイはアクタの柩とともに故地へ還りました。上京も中京もジュルチェンに降って久しく、キタンの命を受けるかどうか」
「う〜ん」
 フティンは腕を組む。
「それと」
「?」
「高麗も」
「……あとは宋か。包囲に及ばないな」
 フティンは自ら杯に酒を注ぐ。
「フティン都統、飲み過ぎです」
 オリラが言う。
「なんで? 飲むのが悪いのか?」
「いいえ、ないのです、もう酒が」
 フティンは杯を見、苦笑いして、それをタイシに進める。タイシは微笑して首をふった。フティンがオリラらを顧みる。皆、しぶい顔をして頷く。
 フティンは酒をあおる。
「よし、止めよう。で、どうする?」
「とりあえず梁王の営に」
「それが賢明だ。爾の営は?」
「すでに使を遣わしています。すぐに会えるでしょう」
「早いほうがいい」
「?」
「サバルは懦弱だ。いつ我らのことをジュルチェンに告げるかわからない。それに! ここは灯り・食・酒に不足している。ジュルチェンを攻める前に倒れてしまう」
 フティンは、また酒を注ごうとして止める。
「……アクタが死んだか。ジュルチェン人は親友の死に額を割るという。主が死んだのだから、いまごろ皆、血だらけか?」
 皆、笑う。
 タイシが語る。
「そのことで……。『後漢書』に、匈奴が漢の耿秉【こうへい】の卒したのを聞き、国を挙げて号哭し、或るものは面をきり流血するに至ったとか。突厥も……『通典』かな、死者あれば、やはり刀を以て、面をきり、かつ哭したと」
 皆の笑いが止まった。


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