皇天順ならず(高汝蓮)第33話

「どのような謀であったか知らない。しかし、そう易やすと大金軍は陥らんぞ」
ネモホは大声で語った。
「我が謀反だと!? そんなことに皇上やアンバン=ボギレが騙されるものか! 我は金牌を賜っているのに。誰がそんなことを言い出した!? 爾か!?」
広い穹廬の中、タイシが氈の上に坐っている。両側に兵が刀に手を掛け立っていた。ネモホは穹廬の中、彷徨している。帯に吊された金牌が灯に照らされていた。
「また黙りかい。沈毅にして謀略あり、か。……すでに爾も知っているであろう。いま皇上は不予で、上京に還ろうとしている。そこで我に命じて西北西南両路都統と為し、ウ=ボギレ(ワンギヤ=ブキヤヌ。アクタの従弟)とデ=ボギレを副として、雲中に兵を駐【とど】まらせた。……皇上は我を信じているのか? 遠ざけたのか?」
ネモホは、てんじょうを見、声をやや小さくしていく。しかし再び大声。
「しかし、還ってきたぞ!」
ネモホはタイシを観る。タイシは目を閉じていた。
「ふん。流言はまだある。ひどいのもあった。童貫が宋軍を率い、郭薬師が渤海人を誘い、張覚が平州兵を挙げ、合わせた百万を以て、内地を攻めるだと? 近ごろ皇弟シェム郎君が張覚を敗ったぞ。まあ、逃げられたらしいけれど。……ほかに五国部がアンバン=ボギレをすでに害したとか、アガ(天祚)が刺客を送っとか、サマン(巫女など)や道士を用いて我らをのろい殺すとか。何だそれは!?」
ネモホはタイシに前に坐る。
「昨夜、何者かが拐子馬の韋索(皮ひも)を切った。……それぐらいで使えなくなると思ったのか? これも爾の謀かな。まったく浅はかな考えだ。先ほど鉄鎖で繋ぎ、修復させた。……しばらくここにいてもらおうか。我が視ておれば、もう邪な考えなど思いつきまい。この営は二重三重に囲んでいる」
ネモホは笑い手を叩いた。兵が何かを持ってくる。タイシの前に置く。漆で塗られた木の盤。上に袋を載せる。ネモホは袋を開き、中から骰子【とうし】(さいころ)と棋子(駒・碁石など)を取り出し、数えた。
「二つと十五」
ネモホは椅几(ひじかけ)に依りかかり、骰子の一つをタイシに投げてよこす。
「デ=ボギレが送ってきた。これで戯れていろということであろう。燕京の茶肆【し】(店)に設けられている雙陸局は或いは五、或いは六、多くは十に至るとか。南人は茶肆中に棊【き】(棋。囲碁?)具を置いているらしい。さあて、何を賭けようか?」
「どうして勝てないのだ!!」
ネモホは骰子を盤に投げつける。棋子が弾かれ散らばった。タイシは動じない。ネモホは起き傍らの刀を執る。侍していた兵らが慌ててネモホを抑えた。一人が告げる。
「皇上の命を待つように」
それを聞いてネモホは動きを止め、腕をふりはらう。
「明日、アンバン=ボギレが到る。そこに爾も出頭するのだ」
タイシを睨む。
「帳に帰れ! もう爾の顔を見たくない」
ネモホは顎で兵に指示した。兵らがタイシを立たせ外に出す。
すでに夜。
月はない。
闇を火炬【かきょ】(たいまつ)が照らす。
中途で馬を引いた兵が加わった。馬は荷を載せている。
タイシは己の帳幕に至った。すぐに戸を開く。子らは起きていた。
「今宵、この営を出る」
子らは茫然としているよう。タイシは二人を引く。先ほどから従っていたジュルチェン兵の装いをしている者が子らを預かる。兵らは荷から甲冑を取り出し、そこに子らを押しこんだ。
「暑い」
子らがつぶやいた。
「がまんしろ」
そう言って兵らは箱に蓋をし縄で縛った。タイシは甲冑を被りながら夫人を顧みる。
「プスワン、娘子(きみ。妻への呼称)も……」
「初めて名を呼んでくれましたね」
プスワン夫人が微笑む。
「奴(わたし)は行きません」
「!? なぜ?」
「この脚のこと、丈夫(あなた)の妨げとなります。これから郎君は龍飛するのでしょう? 奴など、ふさわしくありません」
「龍飛!?……そんなことはない。いま娘子は我の妻なのだ。ここに残ってどうする? 殺されるぞ。つれていく」
「子らをたのみます。必ず善く仕えることでしょう」
「……」
「それと……」
「?」
「奴の母は、ほかの部の生まれです」
「……何処だ?」
「プスワン部」
「漠北の部族だ! ジュルチェンと住んでいる所がまったく違う」
「はい。母はどういう縁か教えてくれませんでした」
「娘子は、そこから名を採ったのか。本名は?」
「忘れました。それより願わくはプスワン部のことを憶えていてください」
プスワンは杖を使って立ち、絹布のようなものを執りタイシに差しだす。
「さあ、行って! 奴のほうは何とかなります」
「……」
「リンヤ! 早く!!」
オリラが入り告げた。
タイシは絹布を受けとり、拱手して去る。
彼らは馬を引き歩く。
ほかの兵らは小氈帳(小さなテント)に屯していた。酒を酌みかわしている。至る所でタイシらは止められた。
「イライ=ボギレの命だ」
そう告げると金牌を見せた。兵は跪き頷く。タイシらは先に進んだ。
しばらくしてオリラが言う。
「その金牌。よくできているなあ。誰も疑わない」
「そりゃあ、ほんものだもの。それに皆酔っぱらっているし……」
「え?」
「いつ奪った?」
「先ほど。ネモホが怒ったとき」
「スンシャン!? 爾は!」
「声が大きいぞ、オリラ国舅」
スンシャンが小笑した。オリラは困ったような顔をしてタイシを見る。タイシも笑っていた。
咳ばらいしてオリラが言う。
「だいじょうぶか?」
「別の物を置いてきた」
「別の物?」
「さすがに我はジュルチェン字を知らなかったので、ほんものを必要としたのさ。それで代わりにキタン語で書かれている牌で似ている物を。よく観ていたつもりなのだけど、遠くからばっかりであったからなあ。いま視ると、だいぶ違っていた」
オリラは笑おうとして顔を引きつらせ、語る。
「すぐばれるぞ! 急がねば。……しかし、思ったより兵が少ないなあ」
スンシャンが応じる。
「蜀国公主が将帥を宴に招き、兵卒に酒をふるまったらしい」
「公主はリンヤを出すために……」
「……」
路に兵が倒れていた。
馬が多く繋がれている。
十数人がタイシらに寄った。
「リンヤ!!」
みな跪く。
「待っていました」
タイシは一人ひとりの手を執る。
ふとタイシが彼らの後を見る。
子、らしき者が三人。
跪いている者が報じる。
「すみません。残るキタン人に託されました」
皆タイシを見る。
「我もつれてきた。かまわん。ところで、テゴ監軍、フティン都統に今日のことを告げたか?」
「はい! リンヤの指示どおりに。都統は、このあと起こる騒ぎに乗じて、営を出るでしょう」
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