皇天順ならず(高汝蓮)第3話

城外の穹廬にタイシらが案【あん】(つくえ)を囲んで立っている。
虞仲文が言う。
「宋軍は東路・西路に分かれ、東路兵は白溝の辺に屯し、西路兵は范村(河北新城西北?)に駐している。それぞれ前軍・左軍・右軍・後軍・選鋒軍から為っているという。宣撫使童貫は雄州(河北雄)に居る」
オリラが聞く。
「彼らは兵を進めるでしょうか?」
「南朝は再び使者を送ってきたのだから、そこから進軍しないであろう。それに卿らは大遼の信使に随って雄州に赴き、その後、新城(河北新城)で偵候(偵察)するのみだ」
「もし白溝の兵が界を過ぎたならば?」
「東路五万の兵をキタン・奚騎二千で迎えるつもりか?」
虞仲文が笑いながら問いかけると、タイシが答えた。
「そんなつもりは在りません。恐れているのは燕民の内応です。先に易州(河北易)の土豪が兵を起こしました。これは、すでに執らえられ斬られています。いま劉宗吉なる漢児が宋使の宿に私出し、城を献じるなどと言っているらしいのです」
「それは確かに不安だ。まあ、急を告げることが在れば、北院枢密使が精兵二万および常勝軍を引いて援ける」
漢字で“大遼”と書かれた旗が風に翻り、非漢字で何か書いてある幟が日に輝いている。
緋袍の者が問う。
「タイシ都統、あれは何とあるのですか?」
甲冑を穿ち、左に剣と弓袋、右に箭筒を携えたタイシが答える。
「“竜虎”です。王秘書」
そこへ馬蹄の音。兵らが構えた。
「リンヤ、邏騎です」
オリラがタイシの前に出て、確かめる。
邏騎の者が叫ぶ。
「宋の西路前軍軽騎数千、境に入り蘭溝甸【らんこうでん】(白溝のどこか?)に至りました」
「よし。ジャラーブ都監、兵五百で使者を護れ」
「何と! 宋使は今、燕京で主上に見えようとしているのに」
「王秘書、来たようです。南朝は遂に盟を敗【やぶ】りました」
そう言うとタイシは馬に乗り、身を以て軍の先にして駆けた。オリラらがその後に続く。
タイシの兵が新城に還った。クリブと郭薬師が来ている。
郭薬師が問う。
「何故、彼らは白溝を過ぎたのでしょうか?」
クリブが答えた。
「燕民が自ら来て帰附して必ず内変すると思ったのであろう。使者を遣わしておきながら、兵を送って来たなんて。死間を作ったのか。南朝(宋)は草芥の如く士大夫の命を棄てるのか。……さて、オリラ副都統、どうなった?」
「南朝は望塵、退走しました」
「うむ。次は、こちらから白溝を渡って彼らに挑もう。……ああ、そうだ。主上に見えた宋の使人は、もうすぐ新城に至るぞ。我は漢語を知らん。リンヤ、相見して何か言ってやれ」
クリブは大笑いしながら馬に乗った。
タイシら数人は騎馬で館に近づく。折上巾・大袖緑衣・履【り】(あさいくつ)の者が門外で待っており、タイシらを見て拱手した。
リンヤも馬を下りて拱手する。すぐに口を開いた。
「南北の通好は百年。何で兵を挙げ、地土を侵奪しょうとするのですか?」
「〔宋の〕朝廷は、ジュルチェンが海上から累【しきり】に使人を遣わし、燕の地を献じて還す〔と言っている〕ことに縁って〔行動して〕います。〔朝廷は〕毎に温言を以て答えました。むやみに信従していません。近ごろ又その文牒を得ました。すでに山後(山西)に拠っているので、もし南朝が燕の地を要らないのであれば、かの国は自ら取りたい、と具に言ってきています。朝廷は兵を発せずして、燕を救うことを得られなくなったのです」
「河西家(西夏)も累に上表を次いでいました。兵を興して、南朝を夾攻しようと欲していたのでしょう。本朝は章表をうけるごとに封じて南朝に与えました。利を見て、義を忘れ、間諜を聴用することを敢えてしません。貴朝は纔【わずか】にジュルチェンの一言を得て、即便に兵を挙げましたね」
「夏国が累に不遜の言を行なったといえど、数十年間かつて南朝の寸土を侵得したでしょうか。ジュルチェンの言うところは実に応験を有しています。本朝は燕地を救応することだけでなく、自ら辺隅を固めようと欲しているのです」
「君は使人であるのに、何で劉宗吉なるものと結約することを得たのですか?」
「貴朝の諸公は深く理論を会(解)したとして、ただ使を招納するのみですので」
「両国の和好をおもえば、使人を留めることを欲しておりません。食を罷め、行くべきでしょう。語を童貫に伝えてください。和を欲しているのであれば、旧和によって、和を欲しなければ、どうぞ兵を出して陣で見えましょう。諸軍をして徒【いたずら】に苦しませることのないように」
タイシは語りおわると馬に乗り馳せ去った。
遼軍は宋軍と塁を対した。
宋将が橋に拠り、黄旗と榜を持ち、陳べる。
「この黄旗と榜を欲している者へ、亟【すみやか】に、これを与えよう」
タイシが近づき看る。
「王者の師は、征を有して、戦をなくし、民を弔し、罪を伐つ。やむを得ずして出で、これを為す。もし敢えて一人一騎を殺せば、並びに軍法を行う」
タイシはオリラらの顔を見た。オリラが頷く。
タイシは黄旗・榜を箭で毀徹した。宋の将は身を引き構える。タイシが言った。
「多くを言う無し。死、有るのみ!」
語りが未だ竟【おわ】らないうちに、矢石が雨の如し。宋軍は備えなく、宋将一人が拘【とら】えられた。
遼軍は旗を揚げて西を指す。騎卒が指しずに随い、宋軍と水(河)を隔て西にむかう。やがて宋軍は兵を分けた。クリブが軍を引いて右軍を擣【つ】く。ここで右軍は潰えた。さらに遼軍は宋の左軍をせめる。左軍もみだれた。あらたに白溝から遣わされた宋軍が橋の北を過ぎ、遼の中軍を撃とうとする。これを率いる宋将が河橋に往く。遼軍が先に水を渡り、回って左右に分かれ、これを囲む。士卒の傷を被る者が甚だ多く、宋将も箭に中【あた】った。しかし免れ得た。
夜、宋軍の営で金鼓がなる。
郭薬師が言う。
「彼らは何をしているのでしょうか?」
クリブが説く。
「我らに奔突の意があるとおもっているのであろう。前漸しなくていい。疲れるのは彼らだ」
暁方になり、即クリブらは衆を引いて来た。
「堅壁だな。還るぞ」
翌日、諸将らが聞いた。
「北院枢密使は何処に?」
兵が答える。
「孤山(河北房山南)です」
タイシらは磴【とう】(石段)を踏み山に登った。
そこにクリブは蓋(かさ)を張り、床(こしかけ)をまたいでいる。そこから宋軍が覘える。クリブが言った。
「西路の衆だ。次は彼らを撃つ」
彼らは須叟【しゅゆ】(しばらく)して引き去ったあと、宋軍を山下に囲んだ。宋将の一人が槍に中り馬から墮ちそうになる。これを、先の戦いで箭に中った将が援け、また西路の大将らしき者が親【みずか】ら軍門に出て節鉞【せつえつ】(まさかり)をふり上げ督戦した。遂に遼軍は退いた。
旦(よあけ)から宋軍は金鼓をならし南に退きはじめた。遼軍は軽騎を用いて尾撃する。宋軍は古城に至り鏖戦。ここで遼軍が乱れ、宋の大将らは免れて雄州に達した。これを追って遼軍が雄州に大いに至る。宋軍は城外に止まっていた。城門は閉じられていない。遼軍と宋軍は城下で激戦した。宋の大将は一つの巨梃【きょてい】(多節棍)を持ちだして自ら防ごうとしている。城兵がこれを援けた。時に天は黒暗。北風・大雨・震雹が拳腕の如く。午(正午)から申(午後4時)に至って、風雨が愈【いよいよ】疾となり(ひどくなり)、宋将らは騎を聯【つら】ね奔った。遼の兵は「どうして盟を敗ったのか!」と叫び、追って古城の南に至る。宋軍は自ら相蹂践【じゅうせん】、兵杖を棄擲【きてき】して、南を望んで潰えていった。雄州の南から、莫州(河北任丘)の北、塘泊(不明)の間、雄州の西、保州(河北清苑)・真定(河北正定)に及ぶ一帯に死尸は相枕した。
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