皇天順ならず(高汝蓮)第29話

 タイシは跪き、拱手した。
 アクタは顔面蒼白。汗をかいていた。しかし笑顔を見せる。
 ほかにオルのみが侍していた。
 アクタが語る。
「……卿の妻は善く仕えているか?」
 タイシは下を向いて答える。
「はい」
「そうか」
 アクタは息をつきながらしゃべる。
「……卿が客をなって三月だな。卿は食を絶って死を選ぶ……とか、ユドゥクのように自ら降る……とか、しないな」
「……」
「そのため諸将の中に卿を疑っている者がいる」
「……」
「……何故、卿は燕京に帰ろうとしたのだ? 聞くところによれば、香山に秦晋国王妃を葬るためとか? イライ=ボギレらは、奚人や平州とともに大金を攻める計であったと奏している。……意外と、我に見えたかったのかな?」
 アクタは笑う。
 彼は、ゆっくりと自ら碗を執り、薬湯らしきものを飲む。
「卿から見てオリブはどうだ?」
「は?」
「我はアンバン=ボギレに不満を持っていない。彼のあと弟らが順に継ぐことになっている。しかし、その次はどうなるのだ? 兄の子、まだ二人いる、に承けさせるのか? 我は、それでかまわない。けれど、もはや我らはジュルチェン部でなく大金国なのだ。いずれ皇位について糾紛するであろう」
「……」
「シェンガは沈静で、オリブは慈仁。オルドは寛恕で、ウジュは胆勇だ。そしてネモホらが彼らの賢佐となるであろう。……しかしながら、ネモホも宗室であり、驍将だ。誰を擁し、また誰が立つのかわからない」
 オルが不安そうな顔をする。
「デ=ボギレよ、安心しろ。我はネモホを信じている」
 アクタは微笑した。
「……我は卿の処遇に迷っている。初め郎君の輔翼にしょうと考えていた。遺憾ながら諸将相は肯諾しない。そこでデ=ボギレは、兵を預けられないのであれば卿をして、まず監修国史に任じたらよいと言っている」
 タイシはオルを見る。
 オルが頷く。
「天祚皇帝が降れば、『九朝実録』および『遼史』とやらを編纂してもらおうか」
「!?」
 苦しそうである。しかしアクタは笑顔を絶やさない。
「……望みはないか? もちろん遼国の復興はできない」
「我は遼朝の旧臣。できれば事えず、医巫閭山(遼寧北鎮西)にて書を読みたいと思います」
「……遼義宗(耶律図欲。阿保機の長子)の望海堂か?」
「はい」
「書を万巻、蔵しているとか。我は燕京に入ったとき、虞仲文らにキタン人の著作を見せてもらった。平王(耶律隆先。義宗の子)の『ロウ[門・良]苑集』や遼西王(耶律良)の『清寧集』『慶会集』、耶律資忠の『西亭集』、蕭韓家奴の『六義集』などなど」
 タイシが驚いた顔をした。
 アクタは、それを見て悦んでいる。
「漢籍も多かった。欧陽修の『五代史記』など、厳しい書禁のなか、よく得たものだ」
 タイシが頷く。
「……医巫閭山か……。うむ、それもよかろう。しかし、我は内地に還る。卿も従え」
「え?」
「アンバン=ボギレが迎えに来る。卿も見えさせたい。」
 アクタが突として咳きこむ。オルが急ぎ薬湯をアクタの口に運ぶ。それをアクタは喘ぎながら飲んだ。
 オルが言う。
「下がっていいぞ」
 アクタも頷いた。

 タイシが天幕を出る。
 日は落ちていた。
 そこに将帥らしき者が立っている。
 一人が告げる。
「エリ=タイシ=リンヤ、爾は、この営に留まってもらう。爾の妻子も、ここに来させる」
 その将帥が手を挙げた。兵らがタイシを囲む。
 タイシが、その将帥に言う。
「卿は我に縄を投げたものだな?」
「おお、憶えていてくれたか。そう、そのとおり。我はワンギヤ=ルスだ」
 ルスは再び手を挙げた。兵が少し引く。
「どうやら諸将は、もう爾を郎君らに会わせたくないようなのだ」
「……」
「さあ、こっちだ」
 しかしタイシはルスの指さすほうと違うところを見た。グシェンが馬に乗っている。晴黄の目が光り、虎の如くタイシを視ていた。


第30話へ(続きを読む)

作品紹介へ

一覧へ

クリックでホームへ戻ります
back to home