皇天順ならず(高汝蓮)第24話

 晨【しん】(あさ)。
 声ジャ[口・若](挨拶)して、おのおの相呼び、起きる。
 皆、盃水を覓【もと】め〔顔を〕洗い〔口を〕漱ぐ。
 行李(荷物)を担ぐ人夫および車を輓【ひ】く牛・驢【ろ】(ろば)が往来する。車は〔一〕両毎【ごと】に驢十五頭を用い、五〜六人が巨挺【きょてい】(二節の棍棒)で驢を撃って遅れないようにしている。

 タイシは跪き、日を拝んでいた。
「睡【ね】ていないのであろう?」
 オルが至る。
「リンヤ、皇上の起居を問い(朝の謁見)に行くぞ」
「……」
「嫌か? それならば点心を食べに往くと想えばいい」
 オルは嬉嬉と(にこにこと)している。
「都統」
 タイシは厳しい顔をしていた。
「爾の言いたいことはわかっている」
 オルは手を挙げ、兵に驢を引いてこさせた。
「爾は未だ大金に服していない」
 驢の轡を執る。
「しかし! 今朝、皇上は爾一人を召しているのだ。来い!」
 そう言うとオルは性急に驢に乗る。タイシは、ゆっくりと体を起こした。
「我一人を?」
「そうだ」
「どうして?」
「皇上は話を聞きたいのだ。ユドゥクなどからでなく。な。それに昨日、爾は飯を殆ど食せず、皇上が賜った物を選んでいない」
 すれ違う兵らが拱手する。オルが頷く。
「また、遼の諸王は、ともかく、ユドゥクどころか、叛いたわけでなかったエリ=シェンスやエリ=フティン、久しく会っていなかったのであろうに、彼らにすら爾は目を合わせようとしなかった。どうしてだ? 先に降った諸将を蔑【さげす】んでいるのか?」
「いいえ……」
 オルは一笑する。
「うん。わかっている。キタン人が聚【あつ】まれば、大金の将帥が戒【いまし】める(警戒する)と、爾は慮ったのであろう。と、我は想っている」
「都統」
「ん?」
「都統は……」
「何だ?」
「……」
「はっきり言え!」
「都統は我を監視しているのですね?」
「そうだ」
「しかし、常に兵を従えないで一人で……」
「我はひまなのだ」
 オルは再び笑った。
「もう老いているのでな。戦はオリブやネモホら次の世代に任せ、ときどき力を副えてやるつもりだ。もちろん皇上の命によって変わるけどな」
「……次の世代に任せられるのであれば、我など……」
「爾は何だ?」
「は?」
「翰林学士承旨であろう! 少なくて欲しいのは文学の士だ」
「……」
「モウリャンク、漢名を宗雄というのが居てな、皇上の兄の子だ。彼は学を好み、書を嗜む者で、キタンの大小字の尽くに通じていた。大金国を初めて建てるとき、法を立て制を定めたのは、すべて彼とオベン、皇上の庶長子、とが建白して行ったのだ。遼との和を議るに及んで、キタン字と漢字で詔を書くことも、このモウリャンクとネモホ、グシェン、これは宗室の一人、によって主【つかさど】られた。しかし七年前に薨じたよ。年は四十であった」
「……」
「将帥はいる。まあ、オベンも、オリブ・ネモホ・グシェンも皆、学を好む。皇上が爾を都統として採る、ということもあるな。後のために」
「……後のため?」
「まだ、教えられない」
「……次の世代? しかし位を継ぐ者は……」
「うん。アンバン=ボギレのウキマイ、次はクル=ボギレのシエ、漢名を杲【こう】。……と継承するはずだ。皆、同母弟でな。あまり庶子や従兄弟は出ないようにしている」
「……」
「しかしな、従兄弟のタラン……漢名を、ええと昌か……という者は、なあ。まだ足りないようで……」
「都統の令息は?」
「いる。一人な。しかし我はネモホを推している」
「?」
 オルは少し遠くを見つめ語る。
「彼の父、我の兄であるグルン=クル=ボギレ、名をサカイ……は大聖皇帝の即位以前から国相となり、皇上と共にジュルチェンの諸部を分治した。また皇上に即位を勧進したのも彼だ。人と為りは敦厚多智、人を用いるのに長じていたよ。家に居るとき純倹で、稼穡【かしょく】(農業)を好んだ。始め国相を為ってから、よく諸部を訓服し、訟獄に情を得ていた。当時“国相に見えざれば、事は何に従って決めようか”という言があったという。一昨年、薨じた。皇上は弔いに往くとき、白馬に乗り、額をきずつけ、これに哭いて慟【なげ】き、葬るに及んで、これに親しく臨み、御馬をおくったぞ」
 タイシは幾らか眠そうにしていた。
「おい! 我家の誇りだ。聞けよ!」
 タイシは手で顔を拭い、苦笑した。
「額をきずつける?」
「ああ、ジュルチェンの習いでな。ふつう、その親友が死んだら、刀で額を割り、血と涙を交わり下らせる。これを“送血涙”と謂う」
「……」
「まあ、ネモホ……宗翰は、そんな兄の子だから、また、その勇に軍中は服しているし、幼くして皇上の左右にあり、諫言すらした」
「そうですか」
「……しかしな、ネモホは狭量で、人を小さく看る。爾も会ったときに覚ったであろう?」
 オルが止まった。
「これだけ我家の話をしたのだ。爾の家属のことなど教えろ」
「……」
 
 アクタは咳きこんでいた。
 侍女が薬湯を捧げる。それを夫人らしき女がアクタに進めた。
 前にオルが跪き、タイシが立っている。
 タイシらに向かって、侍女らは跪き、夫人は腰と膝を折り両手を膝に添えて拝をした。点心は、すでに至っている。灌肺【かんはい】(羊の肺に詰め物をしている)・油餅・棗コウ[米・羔](棗ジャムを挿み、米粉を使い蒸した菓子)・麪粥【めんしゅく】(麪は小麦粉)……。
 アクタは頷き言う。
「デ=ボギレ」
 オルが拱手し起き、タイシを促す。
 二人が坐ると、侍女らが茶や酒を勧める。
 茶は先に湯、後に茶葉。
「まだ卿は降附しようとしないのか?」
 アクタが直に言った。
「……」
「何故だ?」
「ジュルチェンは大遼の諸陵・影堂を焚焼略尽し金銀珠玉を発掘した」
「霊柩を毀壊していないはず。すぐに修葺し、兵に巡護させよう」
「ジュルチェンは我らの黎庶を残【そこ】ない、我らの州邑を剪【き】り屠った」
「深く存恤【ぞんじゅつ】(ねぎらい、あわれむ)を加え、衣服の足りない者に官から賑【にぎ】わい(ほどこし)貸す。遼の官員は旧に仍【よ】る。新附の民で材能有る者を録用するように。と、すでに詔してある」
「天祚皇帝をして外に蒙塵させた」
「エリ=アガ!は沈湎【ちんめん】(酒食におぼれる)し、遊畋(狩猟)に荒れ、政事を恤【うれ】えず、佞人を好み、忠直を遠ざけ、刑をみだし、賞を吝【やぶさ】かにして、政を煩わせ、賦を重くした。民は生きることを聊【りょう】(たのしむ)しなかったのだ」
「……」
「また、アガは、北珠(真珠?)を尚【とうと】び、その蚌【ぼう】(真珠貝?)を食す天鵝(白鳥)、を撃つ海東青(はやぶさ)を求めた。海東青は五国(部族名。黒竜江依蘭)に出る。ジュルチェンは甲馬千余を発して五国との界に入り海東青の巣穴につき、これを取った。そのとき五国とは戦闘となり、後に海東青を得る」
「……」
「毎歳だ! ジュルチェンは、すでに堪えられなかった」
「……」
「どうだ?」
 アクタはオルを見る。二人とも笑う。
「いいでしょう。ユドゥクらと違い、リンヤを説くのには利より義でしょうから」
 アクタが咳をする。
「ところで、先に言ったようごとく、卿に妻子を賜う」
「いいえ、推辞(辞退)させて……妻……子!?」
 オルが言う。
「親を亡くしたキタン人の子らだ。育ててやってくれ」
「子ら!」
「二人だ」
「それはできません」
「何故だ?」
「子はともかく、耶律氏は蕭氏からのみ妻を娶ります」
「知っている」
 アクタは笑顔を見せ述べる。
「我はオリブに蜀国公主を賜う」
「は!?」
 オルが語る。
「皇上は公主を二太子の妃とするつもりだ。しかしキタン人の諸王・宗室が反対するであろうことから、引き換えに、卿はジュルチェン人の女を納れてもらう」
「……」
 アクタが宣わく。
「もう決めてある」
「え?」
「妻子のほか、天幕を一張・錦袍・甲冑・刀剣。そして内地(ジュルチェンの故郷)に、いや燕城でいい、邸宅を与えよう」
 タイシは困った顔をした。


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