皇天順ならず(高汝蓮)第23話

タイシが穹廬から出る。
外にオルがいた。兵を従えていない。
「衣を更えたか? キタンの服とジュルチェンの服は、あまり変わらないであろう?」
「……」
「大聖皇帝が爾らに宴を賜う」
「宴?」
「そうだ。来い」
オルは、すぐに歩き出した。タイシが追う。
「だいたい、ここは何処なの……ですか?」
タイシが湖を眺めながらオルに問うた。
「見てのとおり儒州でない。落藜泊【らくれいはく】という処らしい」
オルは小笑して答えた。
「先ほどの拝は、どういう意を持っているのですか?」
「左膝を跪け、拱手し、肘を揺らすのが拝。拱手して身を退けるのが〔承〕諾だ。リンヤは知らなかったのかな?」
「我が会ったジュルチェン人は、皆、キタンの拝をしていました」
「ああ、両手を右肩に付けるやつだな」
そう言うとオルは、跪かずに両手を右肩に当てた。
タイシが頷く。
「ほかに漢人の拝も」
「知っている。近頃、宋の使が、よく来ているからな」
タイシの顔が曇った。
オルが徐【おもむろ】に語る。
「今日、皇上は、リンヤが、ほかのキタン人と会うのを赦す」
「……そう……ですか」
「ほとんどのキタン人は二太子とユドゥクの営に居る」
「オリブ太子は皇太子なのですか?」
「いいや。皇太子……我らはアンバン=ボギレと呼ぶ……は、いま内地に居る。名はウキマイ。漢名は晟【せい】という。ああ、我らはワンギヤの漢姓として“王”を選んでいる。つまり王晟だな。世祖の四子で、大聖皇帝の弟だ。だから皇太弟というべきかな。知ってのとおり、皇上のジュルチェン名はアクタで、漢姓名は王旻【びん】だ」
「その世祖の諱【いみな】はクリブですか?」
「そのとおりだ。なぜ知っている? ん? 何か変なのか?」
「いや別に……」
「皇上の長子はオベンだ。漢名は宗幹。しかし庶子なのでなあ。嫡子としてはシェンガ。漢名を宗峻としている。次あたりにオリブで、そうそう、彼の漢名は宗望、王宗望だ。あとウジュ、宗弼という、と、オルド、宗堯。ほかに、う〜ん。十六人いるからなあ」
「都統の漢名は何というのですか?」
「我は、そんなもの使わない」
「はあ?」
「爾は、たしか劉重徳であったろう?」
「そうです」
「そんなに、かしこまるな!」
オルは大笑し、タイシは苦笑する。
向こうから大男が来た。兵を多数引きつれている。
タイシを、にらむような目つきで見た。
「リンヤ、こいつは我の甥、ネモホという」
「おい、彼がリンヤ、エリ=タイシだ」
タイシが、かるく拱手する。
「……ふん」
ネモホはオルに鞠躬した。しかしタイシに向かってしない。
オルは困ったような顔をする。
「何か言えよ」
ネモホはタイシを顧みる。
「宗翰だ」
「ああ、そうであったな」
オルは、そう言い、さらに兵を見て、あきれているようだ。
「何か、ものものしいなあ」
「キタン人が集まるのですから。備えたのです」
「リンヤらが逃げたり、兵を挙げたりすると思っているのか? 憂慮する必要はない。なあ?」
オルはタイシを見る。
タイシは黙っていた。
幕が張られている。
大聖皇帝アクタは草の上に虎の皮を薦【し】き坐っていた。夫人つまり皇后らしきふたりが並び坐っている。ジュルチェンの諸将やキタンの貴戚は左右に分かれて坐していた。離れた処にジュルチェン兵。
楽が作【な】る(演奏される)。
矮擡子【わいたいし】(テーブル?)、あるいは木盤(おぜん?)などを用い、稗飯の一碗を置き、その上に匕【ひ】(さじ)を加えていた。
羊一口、まだ毛を帯びている(つまり一頭まるのまま)。地上から三尺の深さに炉を作っていた。周りに石を面し(石で囲み)、〔石を〕赤くなるまで焼いている。〔その上に〕鉄の笆【は】(垣。鉄網のことか?)を用いて、〔さらに、その上に〕羊を盛り、上に柳子(柳の枝)を用い蓋にして覆う。〔それらを〕土で封じて熱で以てするのを度と為していた(蒸していたということ)。
韮【きゅう】(にら)・野蒜【やさん】(のびる?)・長瓜(?)の齏【せい】(なます)を以て――すべて塩漬け――木楪(小皿)を以て別けて盛る。
猪・羊・鶏・鹿・ショウ[けものへん・章](のろ・くじか。鹿より小さく角なし)・シ[鹿・巳](二歳の鹿)・狐・狸・牛・驢【ろ】(ろば)・犬・馬・鵞【が】(がちょう)・雁・鴨・魚・蝦蟇【がま】(がまがえる?)などの肉を、あるいは燔【や】き、あるいは烹【に】て、あるいは生の臠【れん】(きりみ)で、多くを芥【かい】(からしな)・蒜の汁に漬沃【しよく】して(つけこんで)、続け供に列べていた(野菜と一緒に並べてあったのか?)。おのおの佩刀を取り、臠切し(きりみにして)、飯〔の上〕に薦いて食している。
趙王シニレは夫婦でいた。
タイシが拱手する。
趙王は、近くに侍している兵、ジュルチェン兵を伏目がちに見ながら拱手した。そして寄り、小さな声で告げる。
「リンヤ。兄、梁王が自立した」
「え!?」
「九日前の五月八日らしい」
「……」
「知らされていなかったのか?」
「はい」
「ならば、蕭幹が滅んだことは?」
「え?」
「五月九日、つまり兄の自立の次ぎの日だ」
「なんと! そのような報は何処から入ったのですか?」
「ユドゥクが語った。彼に聞いてくれ」
「……」
「リンヤ」
「はい」
「我は今ほっとしている」
「そんな」
「父・兄と共にいれば、謀反を疑われる。しかし国の再建は、もはや望めない。それに」
シニレは傍らを見る。
「妻まで擒となるに及んで……。もう、終わりだと思って、先鋒となってジュルチェンを邀【むか】えた」
「……」
「今こうして妻と共にいる。すでにジュルチェンを拒む必要はない」
とつぜん大声がした。
「タイシ=リンヤ! 皇上が酒を賜る!」
アクタが親しく盃を逓【てい】した(つたえた)。
「都統、卿は、いまだ結婚していないらしいな。よし、朕が賜る。選べ」
夫人らが、にこやかにしながら頷く。
美女十余人、皆、艶麗にして燦然、一人が賜盃に酒を酌み進(勧)め、ほかは果・肴を執り、タイシの前に萃【あつ】まり跪いた。
ジュルチェン人らが大笑する。
タイシは険しい顔になり、つぶやく。
「またか……」
宴も酣。しかしキタン人は、皆、黙っていた。
ネモホがさけぶ。
「前に呉王妃に舞を作し酒を献じてもらった。今日、趙王妃がいる。やってもらいましょう」
「何!」
趙王シニレが立ち上がる。
妃は趙王に縋【すが】った。
ネモホは笑い言う。
「まあ、むりに……」
「わたしが舞うわ!」
皆、ふり向く。
蜀国公主ユリエンが立つ。裾を払い、顎を上げ、手を腰にあてた。
「いいでしょう?」
「あ……ああ」
ネモホが狼狽してアクタを見る。アクタも驚いたようで少し口を開けたままであった。しかし、すぐに口を閉じ頷く。
「待っててね」
「わたしもやります」
またもや、皆の頭が向きを変える。趙国妃が俯【うつむ】きながら起きた。まだ趙王の腕を掴んでいる。
「そう? それじゃあ」
ユリエンは妃に寄り、何かを耳うちする。
「そんな!?」
「できるでしょ。楽人も、どうやらキタン人だし」
趙王は妃の手を執る。妃は首を振り、手を離す。趙王は力無く坐った。
ユリエンは楽人の処に行き、声をかける。また、数人の女から衣服を借りた。
やがて、場の中ほどに二人が立つ。
二人は、くろい布の頭巾に、緋の襖【おう】(上衣)・錦の袖・緑綾の渾襠袴【こんとうこ】(スカート下のズボン)・赤い皮靴・白い袴(スカート)。
二人はアクタの前に跪き、再拝する。ユリエンは小笑し、趙王妃は顔色をなくしていた。
この双舞は急転すること風の如しという。
……
絃・鼓の一声で〔ふたりの〕双袖が挙がる。
廻る雪〔のように〕飄【ひるがえ】り、ゆらぎ、転蓬【てんぽう】(アカザ科の草)〔のように〕舞う。
左に旋【めぐ】り、右に転じて、疲れを知らない。
千匝【そう】(めぐり)、万周(ひとまわり)して、已む時なし。
……(白楽天“胡旋女”『新楽府』から)
曲が終わって、また再拝。
歓声が沸き上がる。
夫人から卮【し】(さかづき)を賜う。ユリエンは、その小さい金の卮を、いつのまにか持っていた花の中に置き、酒を注いでもらい、オリブの前に至り跪いた。オリブは茫然としていた。あわてて左手に枝を執り、右手で花弁を分け開いて口を就ける。
これらのことにアクタもオルもネモホも、そして趙王もタイシも驚いたようすであった。
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