皇天順ならず(高汝蓮)第12話

 積雪を踏みながら氈裘【せんきゅう】(毛織物と皮衣)の者らが馬を引き来た。
 オリラが告げる。
「ただいま還りました」
 紫黒色の貂帽と貂毛を被ったタイシ=リンヤが迎える。
「うむ。誰かに遇ったか?」
「いいえ」
「跡は?」
「まったく」
「そうか……」
「ジュルチェン人も、奚人も、宋人も、キタン人もいませんでした」
「奚兵はここに来たぞ」
「え?」
「話は後だ」

 タイシとわかい兵ら数人が氈裘についた雪を落とし穹廬に入った。すでに酒食が具えてある。タイシが席に即くと、皆、坐った。炉の炎が彼らの顔を照らす。
 オリラが瓶を取る。
「奚人は何といってきましたか?」
 タイシが杯を持つ。
「クリブは一月三日、ツィエンカン山の奚王府に拠り、いつわって神聖皇帝と称し、国を大奚と号して、元(年号)を天興とし、奚・漢・渤海の三枢密院を設け、東西節度使を二王と改め、司を分け、官を建てた、という」
 ひとりが脯【ほ】(ほしにく)を掴む。
「ジュセの話によれば年号は天興でなく天嗣とか?」
 皆に目を向けられた男が杯を乾した。
「ちがうぞ、テゴ。天復だよ。なあエンシャン」
 呼ばれた者が羹の入った椀を下に置く。
「ああ、使者に付いてきた兵が告げた」
 オリラが肉を炙【あぶ】る。
「いったい何なのだ?」
 タイシが微笑する。
「使者もよくわからないようであった。奚の語で何か作ったのであろう」
「リンヤ?」
 もうひとりが菜を摘んでいた。
「スンシャン判官、何かな?」
「ツィエンカン山とやらに奚王府などあったのですか?」
「ない」
「それなら何故そんな所に?」
「険堅なのを恃【たの】んだのであろう。かつて天賛二年(923年)三月戊寅四日、奚人のドンバリス=クスンなる者があって、ツィエンカン山に壁【へき】し(たてこもり)太祖の命を拒んだ」
 テゴが大声を出す。
「さすがリンヤ。詳しい」
「李球が『皇朝実録』の写しを持ってきていたのでな」
 タイシが背後から書を数冊執り、オリラにわたす。
 オリラはそれを手に持ち、隣に回した。
「忠懿公儼が修めたものですね。これをどうして?」
 ジュセも開いて視る。
「乱れに乗じて、というところですか?」
「いいや。かれはもともと李処温に推されたのだ。そのため李処温の家をよく訪ねたらしい。忠懿公は李処温の伯父だ。李球は李処温や忠懿公の子である李処能らに請うて、家に蔵してある経籍を覧せてもらったり、写させてもらったりしたといっている」
「そういえば、李処温と子は誅に伏したのに、李処能は落髪して僧になったのみでしたね」
「忠懿公は廉潔。ひとつの芥すら人から取らなかったという」
「そのような人がいながら、天祚は……」
「ただ、デリディと友旧であったのだ」
「……」
 オリラが掌で口を拭う。
「しかし、天祚は今どこに」
 テゴが回ってきた書を読まずにもどす。
「漢語はわからん。……陰山に奔ったということでしたね。しかし……」
 ジュセが炉に薪をくべる。
「我らが先に見つけなければ……天祚が先なら徳妃を殺されてしまいます」
「クリブが僭号したのだ。必ず、名のみの兵であろうけれど、遣わすはず。それを待つしかない」
「しかし、このままだと我らがジュルチェンに追いつかれてしまいませんか?」
 タイシが袖を捲【ま】くる。
「案じなくていい」
「え?」
 皆、タイシを見た。
「アクタは我らを放っている」
 エンシャンがのりだしてタイシの杯に酒を注ぐ。
「それはまた何故?」
「我らが天祚の処へ至るのを待っているのだ」
 ジュセが鼻を擦る。
「かれらは我らに天祚を捜させるつもりなのですか?」
「たぶんな」
 スンシャンが拳で地を叩く。
「何ということだ!」
 テゴが何かの醢【かい】(しおから)を食している。
「先につきとめるのだ、天祚の牙帳を。ジュルチェン人と宋人と奚人を避けながら」
 オリラが腕を組む。
「それで、見つけてどうします? 幼君は元妃の出。元妃はデリディの妹です。すでに寵を失っているとか? 天祚は晋王(長子)と文妃(その母)ですら殺しています。もしかしたら、すでに元妃も……」
「ふん、いっそのこと天祚を攻め滅ぼせばよい」
 皆、声のするほうに顔を向けた。ジャラーブは瓶から直に酒を飲んでいた。
 エンシャンが笑う。
「数千の兵でか?」
「天祚は諸王・公主・諸子弟三百余騎で遁れたと聞く。制するのはたやすかろう」
「弑逆するつもりか?」
「人心は、もう離れているのだ。しかし天祚を亡きものにしていまえば、諸部族も、平州の張覚らも服するはず」
「天祚とともにいる諸王をどうする?」
「我らは、すでに天子を擁しているのだ。ほかはいらない」
 タイシが歎息する。
「卿は酔っているな」
 ジャラーブは慌てて俯伏した。
「……あいては天祚のみでないのだ。なるべくキタン同士で争いたくない」
 皆、頷いた。

 朝、鶏が初め鳴く。タイシは起き、盥漱【かんそう】(顔や手を洗う)し、服をきがえ、穹廬を出た。槍を持った衛士らが鞠躬する。タイシは手を挙げて応えた。
 ある天幕の外に至る。護衛がタイシを見て拝し、天幕の戸に声をかけた。戸が開き、内から侍女が出る。タイシが侍女に問う。
「今日の安否は如何ですか?」
 侍女が言う。
「ノウオマ(国母)は安らかです」
 タイシは天幕に向かって再拝した。


第13話へ(続きを読む)

作品紹介へ

一覧へ

クリックでホームへ戻ります
back to home