皇天順ならず(高汝蓮)第11話

「まだ七日しか経っていないぞ!!」

「このごろ王の声しか聞こえませんね?」
「大声を出すのは他にいない」
 タイシとオリラが廊下を行く。
 政堂に至り、オリラは入らず、そこに侍す。
「虞参政、如何したのですか?」
「四軍が永清(河北永清)で郭薬師に敗れ、安次・固安を再び奪われた」
「!!」
 兵が俯伏している。
「永清を囲み、旗を望むと、南朝の兵なので撃ちました。しかし兵刃を接したところ、まさに常勝軍。戦も不利となり、山に依って自保していましたけれど……」
「郭薬師は四軍のことをよく知っている」
 クリブがタイシを見た。
「我か汝がいないと、兵らは戦えないようだ」
 クリブが衣服を整えた。
「今、アクタが自ら居庸関に到ろうとしているというのに……」
 そのとき皇太后が殿に至った。簾が捲きあげられ、扇が開く。
 クリブは皇太后に見えると俯伏した。
 皇太后がのべる。
「卿は諸将と早やかに措置をなすべきです」
 クリブが身を起こし、タイシにささやいた。
「敗れた隊は漢人のみだった」

 夕。虞仲文が告げる。
「先ほど居庸関において、崖の石が自ら崩れ、戌卒の多くが圧死したということだ」
 クリブがうなった。
「戦わずして潰えたのか!?」
「守者は関を棄て遁去、居庸関はジュルチェン兵の取るところとなった」
 皆、黙る。
「これまでのようですね」
 皇太后が立ちあがった。
「城を出ましょう」
「それは早計です」
 虞仲文が寄る。
 クリブが説く。
「内応する者がいるのを疑っているのだ」
「また、そのようなことを」
 左企丘が言った。
 皇太后がのべる。
「兵を進めるごとに、日に打草穀騎を四出させ抄掠しました。沿途の民居・園囿・桑などを必ず夷伐焚蕩しており、燕人は上下ともに困窮しています。また府庫も、すでに余積ないのでしょう?」
「我ら……漢人は、どうしたらよいのですか?」
「キタン人・奚人のみで去ります」

 夜、皇太后は、キタンの老幼の帳に居るものも、あわせて城を出る。
 左企丘らが門外で拝辞した。
 皇太后が馬に乗る。
「国難、ここに至りました。我は親ら諸軍を率い、社稷のために一戦します。勝てば卿らに再見しましょう。しからざれば死です。卿らは努力して吾民を保ち、濫に殺戮を放すことのないように」
 言い訖【おわ】ると、皇太后の頬に涙が下った。
 クリブが言う。
「リンヤ、通れるのは古北口(北京密雲北東)だな?」
 タイシは頷く。
「……よし。古北口から出て、先に老幼を逃がす」

 人馬が列を為して少しずつ動く。
 タイシは、それを久しく見ていた。
「重徳」
 ふりかえると虞仲文がいる。
「君は残れ。漢人は君を怨んでいない。……ジュルチェンが燕京に入って来ようと、アクタが、その才を知れば」
「いいえ。それには及びません。我は皇太后を守ります」
「そうか。……再び見えることを祈っておこう」
 二人は互いに拱手して辞した。

「そろそろ我らも」
 オリラが馬を引いてきた。
「そうだな……ん?」
 タイシが列中の一人を呼び止める。
「李令史?」
「おおリンヤ!」
 彼は右足を跪けた。
「汝は漢人であろう。何故ついて行こうとする?」
「小官は大遼の臣です」
「張太師も左司徒も、ここに残るのだぞ」
「……リンヤの麾下に加えていただきたい」
「しかし……」
「実を言うと、同行を求める漢人は、まだいます」
「……そうか」
 李は拱手して列に返る。
 オリラが言う。
「リンヤ。糧食が足りなくなりますよ。また、彼は南朝の間者であるとか」
「まあ、今はいい」
「従う漢人も居るというのに……」
「?」
「イシン統軍副使は残るそうです。疾と称して」
「……」

 キタン人・奚人はジュルチェン兵に遭わず、進んだ。
 後方から騎馬が来る。
 皆、構えた。
「キタンの騎だ」
 その者は皇太后の乗った馬の前で馬を下り報じる。
「ジュルチェン主アクタ、燕京に至りました」
「そうですか」
 皇太后は静かに言った。
 クリブが大声を出す。
「速い。わずかに五十里行ったのみ。アクタは我らを逃したのか?」
 タイシも馬を下りた。
「入城したのか?」
 兵が言う。
「先にイシン統軍副使が門を開きジュルチェン軍を入れ、アクタは城の南に次したとのことです」
「……ここで精兵を選び、居庸関を攻めたらどうでしょうか?」
「それより……」
「ボド都尉、何か?」
「先に老幼を移そう」
「……」
「ジュルチェン兵は西から来た。ならば東に行こう」
 タイシは顔を皇太后のほうに向けた。
 皇太后がのべる。
「わかりました。しかし何処まで行けば?」
 クリブが告げる。
「松亭関(河北遵化)はどうでしょうか?」
「皆はよろしいですか?」
 皆、鞠躬した。

 関の門が見える。
「止まれ」
 クリブが令した。
 守者は逃げたのか、いない。
 皇太后の前に諸将が馬を下り集まる。
 タイシが言う。
「ここより東へ行けば平州です。何とか張覚を説いて兵を借りましょう」
 クリブが前に出て語る。
「その必要はない」
「何故?」
「我ら奚人は、さらに東のツィエンカン山(河北秦皇島西北?)へ行く」
「まさか!?」
「そう我は自立する」
「どうしてこんなときに?」
「今だからこそだ」
 タイシは皇太后を見る。皇太后は黙っていた。
「もはや遼国は滅んだ。我の居る所はなくなった。しかし、なくなったのなら作ればいい。もちろん、従うのならば、皇太后と遼帝を、礼を以て迎える……リンヤ、汝も来い。卿は枢密使だ。」
「断る!」
「燕京に還ったとして、漢人らは今ごろアクタに跪いていることであろう。それより天祚のもとへ走るか? 天祚は厳酷で残忍だぞ。汝らは誅殺されるだけだ」
 キタン人と奚人は列陣して相拒み分かれた。
 タイシは向こうを見る。奚人の中に漢人も渤海人もいた。キタン人も数人。
 タイシはそれを認めて告げた。
「アグジェ都統! 何故?」
 アグジェが言う。
「大王は英雄だ。卿はどう思う?」
「どうして逆臣に従えましょうか!」
 ボドがいう。
「今日、固【もと】より天祚帝に帰するに合している。しかしだな、タイシ、何の面目あって相見えようか」
「牽き出して斬れ!」
 タイシは左右に命じた。ジャラーブが顔色を変えず、ボドを刀で斬る。
 タイシは剣を抜き、叫んだ。
「キタン軍中に伝令しろ。あえて異議有る者は斬る」
 クリブは大笑した。
「リンヤがこんなに怒るところを始めて見たな。……やむを得ない。ここで軍を分けよう」
 彼は片手を挙げた。すぐ奚人らは馬のほうへ向かう。クリブも馬に乗る。
「リンヤ、我は汝を待っているぞ」

 タイシは皇太后の前に俯伏した。
「僅かに七千騎が残っています」
 久しくして皇太后がのべる。
「リンヤ、ジュルチェンと一戦し、燕京を回復するのは難しくなりましたね。天祚皇帝のいる夾山へ行きましょう。我は幾度となく獄に下されました。いまさら誅殺されようとかまいません。そのかわりリンヤらを許してもらいます」
「いいえ、天祚を説いて、宣宗と殿下の燕京を守った功を認めさせましょう。そののち、兵を合わせジュルチェンにあたるのです。しかし、本官は都尉を斬らせてしまいました」
「いいのですよ。さあ、卿に任せます」
 タイシは身を起こした。


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