皇天順ならず(高汝蓮)第10話

クリブらは再び瀘溝河に如く。
ジャラーブが報じる。
「敵、動かず」
クリブが言う。
「南朝の主将は何を考えているのだ? どうしよう、リンヤ?」
「敵陣が動かないのならば、力戦せず、その困憊を待つべきでしょう」
「……ほかには?」
「日に(まいにち)、騎を遣わして、或いは前を撃ち、或いは後を撃つ。さらに左右に受けさせる。また、その餉道を邀撃。そうすれば宋師は、これに病み、進めないはずです」
「よし」
欄子馬が報じる。
「郭薬師らは安次に入ったようです」
「あの寨にいないのか。……うむ、薬師の失った馬があったな」
クリブらは河の南に陣し、全装甲馬を出示して宋将に見せた。
「こう言え。すでに諸将をひきいて人騎を殺戮し皆降った。そこで河を渡り挑戦する、と」
兵らが頷き河を渡る。
「宋軍は恟恟【きょうきょう】(びくびく)とするであろう。薬師の全軍は没し、諸将は殺されたか、降ってしまったのか、とな」
「しかし、薬師のところへ人を遣わせばわかることですよ?」
タイシの言うことにクリブは苦笑いした。
ある日、暮に及び角笛が吹かれ、兵が引きあげる。
ジャラーブが馬を下り、帳幕に至った。クリブやタイシらが迎える。
「縦に中軍をせめ、ほとんど敵大将の帳下に至り、あと僅かのところで禦がれてしまいましたよ。しかし退くまでに多くを殺傷しました」
翌日、朱甲の騎馬が瀘溝河の上で日に燿【かがや】いていた。
タイシが問う。
「これは宋兵の装?」
クリブが答えた。
「これで宋将も心を動かすであろう」
「……」
夜半。
「宋軍両人(二人)を得ました」
「目を蔽って隣の帳中に留めておけ」
クリブらは相語った。
「宋兵は十万で吾らの境を圧していると聞く。吾らの師(軍)の三倍に余りある。そこで精兵を以て左右翼に分かれ、夜に乗じて、その中を衝く。火を挙げて応と為し、敵の営寨を遺すことなく殲【つく】す」
クリブが言う。
「一人を縦【はな】して帰らせろ」
夕。河を隔てて火光の大起するのが見えた。
クリブが言う。
「宋将は自ら営を焼いたのか?!」
諸将は久しく眺めていた。
「追え!」
クリブがさけぶ。
「伏兵に備えよ」
タイシが告げる。
クリブやタイシらが宋軍の焼営に至った。
兵が走り寄る。
「金銀、計えられません!」
「何で!?」
クリブがタイシを見る。
タイシは馬を下り、一処をクリブに示した。
「大将の旗鼓すら棄てている」
「……とにかく、自ら潰えたようだ。追うぞ」
タイシらは走った。
天は、ほとんど暁である。
タイシが指さす。
「旧い寨があるぞ」
オリラが、それをよく見る。
「濠までほっているのに、前に一門を開いているだけですね」
その寨門から、まさに宋将らが出てきた。
オリラが声を出す。
「やすんでいたのか!?」
宋将らは遼の追騎に逢って、すぐ、もとの門に入った。
タイシが令する。
「ほかに門はない。行くぞ!」
遼兵が門に迫ると、宋将らは自ら垣をこわして通り、また、馬で踰えて走った。
宋兵は擾攘して散走。自ら践蹂して奔り、崖澗に堕ちる者は、その数を知るなし。
兵らが諸将の下に馳せ告げる。
「転戦して白溝河に至り、清城(不明)を陥れました」
「道路や寨ごとに、さらに銀・絹が……一〜二十万!」
タイシが語る。
「瀘溝の大寨に赴くところであったのでしょう」
クリブが大笑した。
「我らは勝ったのか?」
諸将・兵らがさけぶ。
「ジクリ(万歳)!」
タイシが諸将に説いた。
「宋軍は自ら潰えたのです。また、燕京の漢人は宋軍に内応してキタン人の殺戮と、その財物を劫掠することを助けました。これによってキタン人は漢人を恨み、漢人はキタン人を恐れることになるでしょう」
「……」
「リンヤ、我の四軍が安次・固安(河北固安)両県を陥れたぞ」
冠に絳紗袍を被っているクリブが来た。
いつもの甲冑のタイシが鞠窮する。
「深入りです。我師の人馬は疲憊しています。勢を久しく留められないでしょう。恐らく後悔を貽【のこ】すと思います」
「もともと大遼の疆だ。それに一月前、郭薬師は両県を経て燕京に赴いたのだ」
「今、ジュルチェン人が兵を進め燕京に趨らせているとの報がありました」
「何と? 南朝が燕京を取れなかったから、ジュルチェンが得ようというのであろうか」
そこへ虞仲文。
「アクタの『詔』とやらもきた」
クリブは書を受けとり、何やら見て、タイシにわたす。
「読んでみてくれ」
「……燕京の官民を諭す。王師の至るところで降った者は、その罪を赦し、官は皆、旧に仍【よ】る……」
「降は納れられたのか?」
虞仲文が言う。
「いや、アクタは皇帝を立てることを許さないであろう」
「五つ、表を奉ってやったのに。よし、勁【つよ】い兵を以て、居庸関(北京昌平北西)を守らせるようにしょう。やすやすと燕京は取らせん」
タイシは宮殿を出た。
オリラが待っている。
「先ほど見ましたよ。四軍大王は、ほとんど皇帝のようですね」
タイシは立ち止まった。
「めったなことを言うな」
「主上はまだ幼冲。位を嗣いだというものの、庶政に親しんでいません。すべては王が決めているのでしょう? 皇太后が痛ましい」
「やめよ」
「また、人は飢え、馬も疲れています。先に幾らかの漢人は南朝に内応しましたし、キタン人も、たとえばイシン統軍副使などはジュルチェンに降りたいと言っているようです」
「統軍副使が?」
「何やら謀反も」
「何!」
「だいたいボド都尉から出ています。都尉は皇太后の婿です。しかし大王が兵柄を執っている今、彼は鬱鬱としています。また、もし天祚が復位すれば彼は謀反人の家属となるわけです」
「……」
「リンヤの擁立も都尉の考えにあるようですよ」
タイシは苦笑した。
「もしかしたら大王も」
「……よく、そのようなことを」
「侍女や夫人らと話していれば」
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