僭僞列伝 冉閔(高汝蓮)第5話

 冉閔が董皇后らと酒を飲んでいる。
 蒋幹が来て再拝した。
「陛下、この常山で遊食などしていて、よろしいのですか?」
「どうかしたのか?」
「姚弋仲【ようよくちゅう】が死にました」
「ほう。いつ?」
「三月中かと」
「ふん」
「病であったそうで。姚襄【ようじょう】は秘して喪を発せず、秦を攻めていました。しかし敗れ晋に帰したそうです」
 閔が頷く。
「ほかに、趙の将軍であったものが胡羯万余人を聚め、趙王を自称しているそうです」
「……」
「陛下?」
「すでに襄国に克った。あとは慕容雋【ぼようしゅん】か苻健が攻めてくるのを待つのみだ」
「諸侯は、おのおの晋か慕容雋に帰しているのですよ」
「予【あらかじ】め定めていたはずだ」
「しかし、このままでは戦わずに滅びます」
「吾はひとりで出撃しょうかな。それに慕容雋は爾らを殺したりしないであろう。しかし乗輿服物などを龍城に送ってしまうかな」
「それはいや」
 董皇后がしゃべった。
「老娘(わたし)は戦より、石氏の皇后のごとくしたかったわ。紫の衣と巾・蜀錦袴褶【しょくきんこしゅう】・金銀鏤帯【きんぎんろうたい】・五文織成靴【ごぶんしょくせいか】を著し(着る、履く)、雌黄婉転弓【しこうえんてんきゅう】を手に握った女騎や錦袴・佩玉の女鼓吹(楽隊)を鹵簿【ろぼ】(皇帝の行列)にしたり、白い“かとり絹”でおおい、義士・仙人・禽獣の像を画いた金銀鈕屈戌【きんぎんちゅうくつじゅつ】屏風、五香を雑じえ五采を施した錦の席、悉く漆で五色花を雕画した几【き】(ひじかけ)、金で縁どりしてある褥【じょく】(しきもの)、薄く純金を打ち蝉の翼のごとくし二面に漆で彩り列仙・奇鳥・異獣を画した雲母五明金箔莫難扇【うんもごめいきんぱくばくりせん】を作ったり……」
「???」
 冉閔と蒋幹は顔を見あわせた。
「災で焚けてしまったでしょう!」
「あん?」
「あと臂【ひ】(うで)を双金環で綰【わん】し、腕(手首)を双跳脱(やはり腕輪?)で繞【めぐ】らし、指を一双銀で約【やく】し(指輪)、香嚢を肘の後に繋ぎ、耳に双明珠、美玉を羅纓【らえい】(綾絹の紐)で綴【つづ】り、素縷【そる】(白い糸)で双鍼【そうしん】(はり)を連ね、金薄の掻頭【そうとう】(簪)、玳瑁【たいまい】の釵【さい】(二股の簪)、“白い練り絹”の裙、白絹の中衣……公主らに。もう戦はいや」
「そんな、石氏を倣【なら】ってどうする?」
「石氏も干戈を息【やす】めませんでしたけれど、燦爛【さんらん】(きらびやか)としていましたわ。陛下ときたら兵のことばかり」
 閔が言う。
「しかしだな」
「胤を死なせたくせに!!」
「……」

「申し上げます」
「うん」
「慕容雋が弟の慕容恪を遣わし大魏を撃たんとしています」
「よし! 戦だ」
 冉閔が立ちあがった。
「董閏【とうじゅん】です」
「ん?」
「鮮卑は勝に乗じて鋭を鋒としています。かつ彼らは衆【おお】く我らは寡【すく】ない。これを避けるべきです」
「張温も言います。その騎の惰【あこた】るのを俟【ま】って、しかるのち兵を益し、以てこれを撃つべきかと」
 閔が怒った顔で言う。
「吾はこの衆で幽州を平らげ、慕容雋を斬ろうと欲している。いま恪に遇ってこれを避ければ、人は吾を何と謂うか!」
 やがて笑い顔になった。

「いよいよだな」
 冉閔は蒋幹に言った。
「我は嫌ですよ」
「はあ!?」
「まだ死にたくありません」
「……そうか。うむ。ならばちょうどよい」
 閔が幹をさしまねく。
 太武殿の一室。数人の吏が石の函を運んでくる。閔が手を挙げると吏が去った。閔が函の蓋を開ける。幹がのぞく。
「これは?」
「伝国璽だ」
「え!?」
「始皇の秦から漢。漢から曹魏。曹魏から晋。晋から匈奴の劉氏へ。劉氏から石氏に。そして大魏に伝わった」
「しかし」
「石祗のものは偽物だ。言ったであろう?」
「いいえ……いや、はい」
「どうした?」
「三つあります!?」
「ああ」
 閔は笑う。
「初めからあった」
「初めから? ……どれか真で、どれかは偽ですか?」
「知らん」
「……」
「これをだな。ひとつを慕容雋に。ひとつを晋に渡せ。それで卿らと董氏・智・明・裕・仇氏は助かるであろう」
「ははあ? しかし慕容雋は石祗の偽の玉璽を持っているのでしょう?」
「あれは玄玉璽。伝国璽は碧玉だ。いや白玉であったかな?」
「晋は欲しているのでしょうか?」
「北方人は晋家を白板天子と呼んでいる」
「白板(授ける官を書くべきなのに何も書いていない板)!」
「残りのひとつは卿に任せる。苻健に送るか、張重華に持たせるか。また卿が自ら円壇にて奉じるか」
 蒋幹は苦笑いした。
「陛下、皇帝として三年。どうでしたか?」
「うん? そうだな……上帝・社稷・宗廟・名山・大川。祭祀に終始したな。どちらかというと、戦どころではなかった」

 兵が至り言う。
「何事か?」
「劉司徒・郎特進が自殺しました」
「う!? ……何か言っていたか?」
「はい。“吾君がいま行く。かならず還らないであろう。吾ら何で坐って戮辱を待たねばならないのか”と」
「そうか……」
 冉閔が〔駐〕軍するところに慕容恪は兵を引いて従う。閔が趣く。恪がこれを追い、及ぶ。閔およびその精鋭が鮮卑兵と交戦する。鮮卑兵みな勝たず。慕容恪は軍を分けて三部とし、鮮卑の善く射る者を択び、鉄鎖で馬を連ね、方陣をつくり、それを前にする。
 冉閔は朱龍に乗って、左で双刃矛を操り、右に鉤戟を執って、風に順じて撃ち、鮮卑を斬る。慕容恪の大幢を望み見て、その中軍を知り、直にこれを衝く。鮮卑の両軍は閔の傍らに従い挟撃し、閔を数重に囲む。閔は朱龍を躍らせ囲みを潰し東に走る。
 二十余里行ったか? 朱龍が故なく斃【たお】れた。
「朱龍……」
 投げ出された冉閔は起き上がり、近づき、馬を撫でた。魏兵が集まる。鮮卑兵が囲む。ひとり馬を下り、拱手して漢語で告げる。
「我は慕容恪、字を玄恭といいます。我主燕王が薊城にて会いたいと」
 冉閔が前に出た。魏の董閏や張温ら将士が涕泣する。

 城に入る。燕の旗幟が空を蔽う。廨【かい】(役所)に至る。鮮卑兵に囲まれ、縛られた冉閔が殿庭に跪いた。やがて殿上の者が告げる。
「立たせよ」
 兵らが閔を立たせる。閔が顔を上げた。ささやく。
「姿貎魁偉か……ようやく遇えた」
「? 汝は奴僕不才。何で妄りに帝を称えるのことを得たのか?」
「天下大乱だ。爾ら夷狄禽獣の類もなお帝を称える。いわんや吾は中土の英雄。何で帝を称えることを得ないであろうか」
 慕容雋が立ちあがり大声で言う。
「これを三百鞭うち、龍城へ送れ!」

 冉閔が檻車で運ばれる。中途、夜、営にて。車に近づく者がいた。
「冉氏よ」
 閔が目を開ける。慕容雋が話す。
「馬が斃れたとか。考(父)も馬が倒れたとき傷を被って薨じた」
「……」
「何故、怒らせた?」
「……」
「答えてくれ」
「何故、怒った?」
「……夷狄禽獣などと言ったから」
「爾も奴僕不才と言ったであろう」
「……」
「まあ、赦されそうであったのでな」
「死にたいのか?」
「吾は石氏の養息で恩を負っているのに逆を為した」
「それは、こちらの使者のことばだ」
「足りないのか?」
「先の戦は勝てたであろうに」
「慕容玄恭は名将だ」
「伝えておこう」
「劉淵(匈奴の漢・前趙の高祖光文皇帝)はこう言った。“大禹は西戎に生まれ、文王は東夷に生まれた、顧みれば徳を授かる所のみ”と」
「同じことを祖父も言っていた」
「そうか……。北狄から生まれた天子もよい。それでこそ漢人と胡人に君臨できる」
「吾に皇帝の位に即けというのか?」
「さあ?」
「いま龍城に向かっている。何か望みはないか? 妻子はたすける」
「斬れ」
 閔は目を閉じた。


(付記)
 五月三日(352年6月2日)、冉閔は龍城の遏徑【あつけい】[徑の偏をこざと]山で斬られた。そのとき山の左右七里の草木は悉く枯れ、蝗蟲が大いに起きたという。そして五月から十二月に至るまで雨がふらなかった。慕容雋は使者を遣わして冉閔を祀り、諡して武悼天王とする。その日は大雪であった。
 六月、まず晋軍が魏都ギョウ[業・おおざと]に入り、蒋幹から伝国璽を受けとる。六日(7月5日)、蒋幹と晋兵は燕(慕容)軍と戦い、敗れた。
 八月十三日(9月9日)、ギョウは燕軍に開城する(史料は晋を正統とするため、燕に伝国璽は伝わらなかったことになっている)。慕容雋は董氏に奉璽君、冉智に海賓侯の号を賜った。蒋幹は倉垣(河南陳留西)に奔ったという。晋に下ったのか?
 石混は妻妾数人を率いて晋都の建康に奔った。晋は敕して収めて廷尉に付している。しかし、にわかに建康の市で斬られた。誰が斬ったのか?
 十一月、慕容雋(儁)は大燕皇帝の位に即いた(前燕の烈祖景昭皇帝)。雋はもとより文籍を好み、著述する所は四十余篇であったという。年四十二で崩御(360年)。継いだ慕容イ[日・韋](幽帝)は沖幼であるため、慕容恪に国事が委ねられる。恪の薨去(367年)の後、幽帝は苻健の甥である苻堅に執らえられた(370年)。この苻堅は姚襄の弟である姚萇【ようちょう】に弑される。
 姑臧【こそう】に自立していた張重華は字を泰臨という。前涼の世祖桓王とされる(331〜353年)。


史料と解説〜あとがきにかえて〜

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