僭僞列伝 冉閔(高汝蓮)第4話

 冉閔皇帝は太武殿で王公らのために饗宴した。
「この一年余のあいだに百官は、幾人に万歳を称えたかな?」
「石虎・石世・石遵・石鑒そして主上。主上のほかは、みな死んでいる」
「年号は建武・太寧・青龍・永興、国号は大趙・大衛・大魏と改められた」
 斉王李農らが大笑した。冉閔は笑わない。
 閔が問いかける。
「斉王、ちかごろ仏に事え、大塔を起こそうとしているとか」
「臣はかつて大和上(仏図澄)に旦夕親問した。まさに大和上は国の神人。その尊さを彰らかにするために」
「朕も仏図澄を五日に一朝というのをさせられた。しかし仏は外国の神。天子諸華の奉じるべき所でない」
「すでに門徒一万、仏寺八百九十三所になっている。陛下も道士を退けたらよかろう」
「……」

「陛下?」
 董皇后が問いかけた。
「どうしたのですか?」
「……」
 白絹の深衣、仮髻【かけい】(かつら)・歩揺【ほよう】(金と白珠)・簪【しん】(かんざし)や、六獣・八爵・九華などの首飾(あたまかざり。翡翠でつくる)、珥【じ】(みみかざり)の董氏は、冉閔に酒を進(勧)めた。
「皇太后から何か言われたのですね?」
「うむ。爾は我家を滅ぼすつもりか、とさ」
「まあ、ひどい」
「とっくに滅んでいるというのにな」
「あら、それも変だわ」
「ん?」
「妾も皇太子も諸王もいますよ」
「うむ。そうだな」
「それより仇氏のことを想っているのですか?」
「いいや、そういうわけでは……。それに仇氏は賜ったものだ」
「ならば陛下も臣下に給わればよろしいでしょうに」
「……」

 中台にて、諸将に宴を賜った。またもや冉閔は黙りこんでいる。
 蒋幹が言う。
「ここに斉王らはいませんよ」
「うむ」
「胡人を誅してから、諸王公は勢を増していますね」
「ああ、たぶん彼らは吾をして胡人を誅させたのであろう」
「やはり」
「ところで卿らは襄国に奔ったり、自立したりしないのか?」
「何を言うのです!?」
「吾は恩を忘れ、仁を棄て、義に背いて、石氏を滅ぼしてしまったのだから」
「いいえ。陛下は石氏の暴虐を伐ち、民を塗炭から拯【すく】ったのです」
「吾も故石氏だ。亡びなければ」
「しかし羯人と違います」
「……」
「陛下は、これから襄国の石祗と石炳・冀州の石混・枋頭の蒲洪・聶頭の姚弋仲・龍城の慕容雋・姑臧の張重華そして建康の晋氏を平蕩して宇宙を混一するのです」
「おお!」
 みな万歳を称えた。
「しかしだな……卿らのみに言っておく。石祗らを討ったら、晋か、慕容雋にに降れ」
「!? 何故そのようなことを?」
「吾は蒲洪や姚弋仲らと戦わねばならぬ。姚弋仲の子は四十二人いるのだぞ。限がない」
「皇太子がいます」
「幼すぎる」
「あの……慕容雋は、どのような者なのでしょうか?」
「慕容雋は字を宣英、小字を賀頼跋といい、年三十二。慕容元真の第二子だ。姿貌は魁偉、文武・幹略をもち、図書を博覧しているという。身長八尺一寸(東晋尺で198.045cm?)とか」
「三十二? 八尺? 陛下とかわらないですね」
「ああ。しかし彼らは鮮卑。さらに向こうは三代まともにつづいている。殺しあわずに」

「姚弋仲が蒲洪を撃った? 七十一と六十六の戦いか!? これはおもしろい」
「少し違います。姚弋仲は子の襄を遣わして衆五万を率いさせたと」
「姚襄? 第五子であったかな? まだ二十ぐらいであろう? かなうわけない」
「はい。蒲洪は迎撃して、これを破り、三万余級を斬獲したそうです」
「とうぜんだ」
「蒲洪は大都督大将軍大単于三秦王を自称し、苻氏に改姓しました」
「……苻洪か? 何故だ?」
「讖文によるそうで」
「ほう」
「そのあと洪は殺されました」
「なに? 誰に?」
「麻将軍が宴によって洪を鴆【ちん】(毒殺)したということです」
「麻将軍が? それで将軍は?」
「子の健が斬ったそうです」
「惜しい。麻将軍は胡人ながら、吾の書を承ってくれた……」
「苻健は?」
「洪の第三子だ。字を建業という。年は三十四か? ……むかし吾は顕原(石虎)に言った。“蒲洪は雄果。その諸子も並びに常才にあらざるものです。密かにこれを除くべきでしょう”と。……よし」
「?」

「何故だ?」
 縛られ殿庭に跪かされた李農が言った。
「爾らの謀反を告げた者がいる」
 殿上から冉閔がのべた。
「虚言だ」
「晋の朝廷は朕の使に応えず、中原をふたたび進み取ろうと謀っているらしい。これに爾は通じているのであろう?」
「……吾に定策(擁立)の功がある!」
「斬れ!!」
 李農らが連れて行かれる。
 冉閔が小声で言う。
「それが最大の罪だ」

「仏図澄の墓を発掘しろ」
「そんな!?」
「行け!」
 冉閔が河を臨む地に至る。士卒が棺を開く。ただ鉢と杖を得たのみ。屍は見【あらわ】れなかった。
 閔は身を引く。兵らは逃げ出したり、拝んだりしていた。
 久しくして閔が下問する。
「沙門らはどうしている?」
「大和上の弟子である道安ら四百余人は、河を渡り南遊しているとか」

 皇帝が社(土地神)を宜【ぎ】し(やすんじ)、祖に造して(告げて)、上帝を類する(まつる?)。有司(係官)が方坎【ほうかん】(しかくいあな)をつくり、牲【せい】(いけにえの牛)を、北を首(あたま)にして坎の南に列した。有司は坎の上で牲を殺し、牲の左耳を割き珠盤に盛り、血を取り玉敦【ぎょくとん】(玉のうつわ)に盛って、血を用いて書をつくる。皇帝は牲耳を受け、大将に授け、〔大将が?〕坎に置く。有司(係官)が坎の前で文を読む。みなが血を歃【すす】る。畢【あわ】って、牲および書を坎に埋めた。
 冉閔は玉を加え、蝉〔の羽〕を附け、貂の尾を挿し、黄金で飾られた武冠を被り、五色の細鎧を著し、“朱龍”に乗る。
 前に朱鳥、後に玄武、左に青龍、右に白虎、上(中)に招揺【しょうよう】(北斗七星)の旗。みな雲を加えている。ほかに事号を書いたものや、官と姓名の事を書いている幟などあった。
 冉閔は将兵を督し宣べる。
「石祗が皇帝を僭称し、慕容雋は薊を抜いた。いま石混が兵十万を率いて都に攻めてきている。朕は自らこれを討つ」
 鼓吹(軍楽隊)が楽を作す。
 冉閔は歩・騎を率いて自ら迎え撃ち、戦い、賊を追い、斬る。その衆を尽く俘(捕虜)とした。戎卒三十余万。旌旗・鐘鼓が百余里に緜亙【めんこう】している(つらなりわたっている)。
 冉閔が都に還り、飲至の礼(宗廟で酒を飲む)を行った。

「十一月に歩騎十万を率いて襄国を攻める」
 冉閔が宣べた。群臣が再拝する。
「太原王胤を署して大単于驃騎大将軍とし、降胡一千を配して麾下としょう」
 まだ幼いといっていい冉胤が再拝し伏した。
 ひとりが言う。
「胡羯は、みな我らの仇敵である。今、来て帰附しているのは、ただ性命(生命)を存させようとしているのみ。万一変を為せば、これに悔やもうと、どうしてまにあおうか。請う、降胡を誅し屏【しりぞ】け、大単于の号を去り、微(わずかなもの)を防ぎ漸【ぜん】(きざし)を杜【と】じるように」
 閔が告げる。
「韋憲道および子の伯陽を誅す」
 百官が相顧みる。ふたりが吏に引かれ下がった。
「韋父子は石氏の旧臣だ。それに朕は群胡を撫し納めるつもりである」
 
 冉閔は襄国を囲んでいた。
 将が報じる。
「永興二年正月二十日(351年3月4日)、苻健が長安において、天王大単于の位に即き、国号を大秦、皇始と改元したということです」
「そうか。ついに自立したか。さあ、石祗はどうするかな」

「襄国を囲んで百余日。土山・地道を為し、室を築き耕を反した。石祗は大いに懼れていることであろう」
 冉閔が遠くを望む。
「どうやら、そうらしいです」
 蒋幹が語った。
「うん?」
「石祗は皇帝の号を去り、趙王と称し、使を遣わして慕容雋に伝国璽を送り、姚弋仲に師を乞い、石混に援を求めているそうです。慕容雋は悦綰に兵三万を将いさせ、姚弋仲は姚襄に騎三万八千を帥いさせ、石混は卒三万余を率いてきているとか」
「ほう。う〜ん」
「陛下、伝国璽は襄国にあったのですか?」
「いいや。石弘(後趙第二代)の時に造ったらしい。それより慕容雋だ。まだ戦うには早い。使を遣わそう」

「使は龍城に囚われ、大魏の兵は姚襄と石混に敗れました」
「朕が自ら出撃する!」
 将軍が言う。
「衛将軍王泰が諌めもうす。いまだ襄国は下っていないのに、外からの救いが雲集している。もし我らが出て戦えば、かならず背を覆われ敵を受けてしまう。これは危道だ。塁を堅くするにしかず。もってその鋭を挫き、おもむろに、そのすきを観て、これを撃て。かりに陛下が親臨し行陳すると、万全を失う如く、すなわち大事は去ってしまう」
「うむ……やめるか」
 道士が進んだ。
「法饒【ほうじょう】が言います。陛下は襄国を囲んで年を経たけれど尺寸の功なし。いま賊が至ったのに、また避けて撃たない。何を以て将士を使っているのやら。まさに太白(金星)が昴(プレアデス)に入ろうとしており、これは胡王を殺すに当たります。百戦して百克するでしょう。失うべきでありません」
 冉閔は袂【べい】(たもと)を攘【はら】って大言する。
「吾は戦うことに決めた。あえて衆を沮む者は斬る!」

「姚襄・石混・悦綰が三面から撃ち、石祗が後から衝いています」
「いかん!」
「陛下! 降胡らが太原王を執らえ、趙に降ったということです!」
「なに!? ……胤!」
「大敗ですね」
「……たしか、このへんに襄国の行宮があったはずだ。そこに潜む」
 閔は十余騎と奔った。

 大魏皇帝冉閔が都に還った。
「陛下」
「張校尉か?」
「陛下が潜んで還ったので、人で知る者なく、都中は震恐し、訛言【かげん】(うわさ)で陛下は已に崩じたとか言っているようです。請うらくは親郊し衆の心を安んじるように」
「このまま、どこかへ」
「陛下! まだ石祗も石混もいるのですよ」
「……」

 太武殿に群臣を招集した。
 将士らが報じる。
「胡人がおのおの本土に還るところ、道路で交錯し互相に殺掠しており、そのよく達する者は十に二か三。中原は大乱です。これによって飢疫で人は相食み、また耕す者なしとか」
「姚襄は聶頭に還りました」
「石祗は太原王を弑し、その将の劉顕を遣わし衆七万を率いさせ都を攻めようとしています」
 冉閔が宣べる。 
「法饒父子を支解せよ」
「韋憲道に大司徒を贈る」

「劉顕が明光宮に軍しています」
 冉閔に兵が告げた。
「都から二十三里(10km)か。衛将軍王泰を召して議する」

「衛将軍は疾と称して辞すそうです」
「前言に従わなかったのを恚【いか】っているのであろう。よしよし、朕が親しく臨んで問う」

 邸の前に冉閔と侍臣が立つ。邸内の者が告げる。
「固く疾が篤いと称して……」
「もうよい。宮に還る」
 閔が左右に言う。
「巴奴(巴蜀の蛮人)め! 乃公【だいこう】(おれ)が、どうして汝をゆるす命をするものか! 先に群胡を滅ぼし却って王泰を斬る! 悉く衆を出せ!」
 蒋幹将が笑う。
「?」
「陛下は、まるで将軍にもどったかのようだ」
「そう、吾は武人。戦でしか自らを明らかにできない」

 冉閔は戦って劉顕の軍を大破した。
「劉顕が密かに使をよこし、降ることを請うています」
「そうか。石祗は?」
「劉顕は祗を殺して効【こう】(功、てがら)と為すことを求めているようです」
「できるかな。とりあえず振旅(整軍)して引き帰そう」

「陛下」
「ん?」
「あるものが告げています。王泰が秦人を招集して、関中に奔ろうとしているとか」
「誅せよ! その三族を夷らげるように」
「陛下!!」
「こんどはなんだ?」
「劉顕が石祗と石炳ら十余人を殺し、首を都に伝え、質を送り、命を請うています」
「おお!?」
「ついに」
 諸将が万歳を称える。
「祗の首を通衢で焚き、劉顕を上大将軍大単于冀州牧を拝させる」
「しかし陛下」
「どうした?」
「石混らは妻妾をつれ晋に奔ったそうです」
「……それは、ざんねん」

 太武殿に百官が並ぶ。冉閔が升殿する。みな再拝し、伏して、万歳を称えた。
 閔が崑華殿に下がる。
「永興三年(352年)正月か……」
 閔が語った。
 公卿が報じる。
「苻健が皇帝の位に即いたそうです」
「慕容雋より苻健のほうが早く大魏を攻めるのであろうか?」
「これまで兵を動かしていませんね」
「うむ」
 士卒が趨り跪く。
「劉顕が常山を攻めているそうです」
 群臣はざわめく。閔は笑う。
「大将軍!」
 蒋幹が前に出る。
「留まって皇太子を輔け都を守れ。朕は自ら八千騎を率いて救う」
 冉閔は劉顕を撃ち破り、追い奔り襄国に至った。襄国の門が開かれ閔を入れる。閔は劉顕およびその公卿已下百余人を殺し、告げた。
「襄国の宮室を焚き、その民を都に遷せ」


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