僭僞列伝 冉閔(高汝蓮)第1話

「武興公? 蒋幹です」
「入れ」
蒋幹が天幕に入る。公が顔を上げた。
「何だ?」
「都からの使いが来ました」
「勅使か? すぐ行く」
公が立ちあがる。
「それが……」
「うん?」
「彭城王の使も来ています」
「ほう? 何かあったのか?」
「主上が崩御したそうです」
「崩御!? いつ?」
「四月二十三日のことだそうで」
「燕王斌と彭城王遵のいずれかが弑したのか?」
「まさか!? そんなことは……」
「ふん……かつて皇太子に立てられたふたり――石邃と石宣は大逆を行い、主上に誅された」
「……いいえ、病甚だしく、と」
「そうか」
公は目を閉じた。
「主上が崩御。五十五歳か。……大趙天王として十余州を有し十五年。今年正月、皇帝に即位したばかりなのに。ついに海内を統一できなかったな。……それで?」
「皇太子が即位し、母の劉氏を皇太后としたとのことです」
「十一歳の皇帝か……彭城王より燕王は? 弟の即位を可としなかったであろう?」
「燕王は薨じたそうです」
「彭城王が殺したのか?」
「またそんなことを」
「石宣は弟の石韜を殺した。石氏は皆こうだ」
「公も石氏でしょう?」
「吾は羯人でない!」
「……」
「……で?」
「張太保が詔を矯って殺させたらしいとのことです」
「張豺め! 吾らが賊を討っているすきに……。司空李農は? 先に還っていたであろう?」
「李司空は上白城で囲まれているとのことです」
「張豺に謀られたな?」
公は笑った。
「どうしますか?」
「うむ……都に家族を置いてきているからな……。諸王はどうなのかな? 彭城王より義陽王のほうが年上だ。また諸公の蒲洪や姚弋仲は? 彼らの附いたほうが有利であろう」
公は天幕の外に出る。蒋幹が次ぐ。
「とりあえず双方の使者に応えておこう」
城は兵で埋め尽くされている。
「彭城王、武興公石閔、参りました」
石閔は坐っている彭城王石遵を再拝した。
石遵が目深・高鼻・多鬚の顔を向け、微笑して語る。
「永曾、よく来た。ところで報せによると、降った高力らを率いてきたとか?」
「爾は賊を尽く斬らなかったのか? 何を考えているのだ!」
ひとりが大声で言った。
「蒲略陽公、よいのだよ。高力はもと東宮衛士。みな多力で善く射ち、ひとりは十余人に当たるとか。また永曾はもともと勇名で、率いる所の兵は精鋭だ」
石遵は笑って話した。
みな石遵に説く。
「殿下は〔皇太子より〕長じており、かつ賢【まさ】っています。先帝もまた殿下に意をもっていました。ただ末年の昏惑で張豺の誤る所となったのです。いま上白はもちこたえて下っていません。京師の宿衛は空虚です。もし張豺の罪を声にし、鼓して行き討てば、戈を倒さず、門を開かず、殿下を迎えない者がいるでしょうか」
石遵は頷く。
「それに従うことにしょう」
みな伏して万歳を称えた。
石遵の次している城に石閔が入る。ひとりで見えた。
遵が席を下りて告げる。
「前鋒をたのむ」
「は!」
石閔は拱手した。
石遵はさらに近づいて小声で言う。
「努力せよ。事成れば爾を太子としよう」
「!?」
石閔が城外の軍営に還る。兵が閔の赤い馬の轡を執った。
「戎卒九万の前鋒だ!」
蒋幹が馬上からさけんだ。士卒の歓呼がつづく。
諸将が言う。
「李城の挙兵から、この蕩陰に次するまでに、公に対する諸王公の扱いが変わったようですね」
「ああ」
「……公は先帝の養孫であるのに、故晋人なので国人(胡人)どころか趙人(漢人)にすら侮られてきたのにな」
「う……む」
「公は驍雄で胡・夏(漢人)の宿将におそれられていますので。とくに先に賊を破ったあと、威声はいよいよ振るっています」
「ふん」
「しかし……このまま彭城王が皇帝になっていいのでしょうか?」
「ん?」
「先帝は遊(狩)に荒【すさ】び、政を廃し、営繕に耽り、人の妻女を奪いました。長子石邃は美淑なる者の首を斬り盤上に置いて視させたり、比丘尼を牛羊の肉と合わせて煮て食ったりしたとか。次子石宣は弟の石韜を殺し、その尸を看て大笑い。先帝は石宣の髪を抜き、舌を抽き、手足を断じ、眼を斫【き】り、腹を潰し、火で焚いた……」
「もうよい!」
「しかし、彭城王も」
「わかっている! ……うむ、そうかと言って、ほかの諸王も同じであろう。燕王斌……は薨じたか。義陽王鑒・沛王沖・楽平王苞・汝陰王混・新興王祗・淮南王昭・楽安王炳。また、姚弋仲と蒲洪などの諸公もいる」
「その西平公や略陽公らも自立しようとしているのでしょうか?」
「たぶんな。かつて石氏が劉氏を滅ぼしたように。いや、このままだと石氏が残害しあうであろうな」
朱柱・白壁、五層楼の下に二門を開く。宇【う】(のき)を反らせて陽に向かわせ、金の鳳凰を巓【てん】(いただき)に安し(置く)、扁額に“鳳陽門”とある。
この門を遥かに望んでいた石閔に将士らが趨り寄り報じる。
「耆旧【ききゅう】(老兵?)・羯士らが城〔壁〕を踰えて出ているそうです」
「彭城王が安陽亭に至ります」
「張豺が王を出迎えるそうです」
石遵が至る。
「もう降ったのか!? よくやった」
石閔が王を拝し告げる。
「いいえ、張豺は惶怖して出る所を知らないのでしょう。また耆旧・羯士は張豺の為に城を守りたくないと」
「ほう、そうか。張豺を執らえておけ」
「陛下、臣、請います。倉庫を悉く散じて衆に与えましょう」
「おう、許す」
「劉太后は殿下を丞相領大司馬大都督督中外諸軍事録尚書事にし、黄鉞・九爵を加えると詔を下しているそうです」
石遵は大笑いした。
石遵は甲を貫き、兵を曜【かがや】かせ、鳳陽門から入り、通衢【つうく】(大通り?)をすぎる。久しくして宮城の門が見え、左方に山のごとき三台が望めた。
宮城内に漆瓦・金鐺【きんとう】(金の鎖)・銀楹【ぎんえい】(銀の柱)・珠簾・玉壁の“太武殿”、西に“崑華殿”、東に“暉華殿【きかでん】”がある。石遵は太武殿に升し、柩前で哀を尽くした。
退いて太武殿の“東閣”に如き令する。
「張豺を平楽市において斬り、三族(父・子・孫など)を夷【たい】らげよ。あと、世と劉氏をつれてこい」
やがて宮婢らとともに幼子と婦人があらわれる。
劉氏は文官から書をわたされ、それを泣きながら読んだ。
「嗣子は幼沖です。先帝の私恩で授かった所の皇業は至重で克堪【こくかん】する所にありません(堪えられない)。それゆえ遵に位を嗣がせることにします」
彭城王石遵は譲る。
「この大位に敢えて当たらず」
群臣が勧めること再三に至る。
「臣らは請います。璽書を発し天命に順じることを」
ついに石遵が服を“通天冠”“絳紗袍”に更え、席に坐る。
「万歳、万歳、万万歳!」
みな伏し称えた。
文官が五色紙を読む。
「『詔』です!」
みな再拝した。
「殊死【しゅし】(死罪)以下を大赦する」
「上白の囲みを罷めよ」
「母の鄭氏を尊んで皇太后とする」
「妃の張氏を立てて皇后とする」
「故燕王斌の子、衍を皇太子とする」
「義陽王鑒を侍中太傅とする」
「沛王沖を太保とする」
「楽平王苞を大司馬とする」
「汝陰王混を大将軍とする」
「武興公閔を都督中外諸軍事輔国大将軍録尚書事とする」
「世を封じて焦王とし、邑万戸、待するのに不臣の礼を以てする」
「劉氏を廃して太妃とする」
石閔が邸に至った。男女が待っている。赤い馬を下りて近づくと、女らは膝を折り男らは拱手した。
「董氏、仇氏、智・胤・明・裕……。うむ、よしよし」
閔が声をかけた。
「吾は相となり、政を輔けることとなった」
「おめでとうございます」
男女は再び拝した。
閔は邸に入り、奥の房に至って、跪き伏した。そこに老婦人がいた。
「閔や、爾の父が死んで十二年」
「はい」
「生きていれば、こんどのことを悦んだでしょうか?」
「……」
「廃帝も劉氏も、けっきょく殺されてしまったとかいうじゃないの。これ已上、何も起きなければいいのにねえ」
ある日、暴風が樹を抜き、雷が震わせ、雨雹が盂升【うしょう】(ます)の如くとなった。光炎が天を照らし、太武殿・暉華殿が災にあい、諸門・観・閣も蕩然とし、乗輿・服御で焼ける者は大半、金石すべて尽きたという。火は月余でようやく滅した。
崑華殿に公卿が集まり議している。
「沛王が衆五万を率いて薊から南下し、檄を伝えています。所在(いたるところ)から雲集し、常山に至るころ十余万になっているとか」
兵が報じた。
石遵が言う。
「朕は赦書を出し、さらに使を馳せ遣わし、書によって沖を諭そうとした。しかし……聴かないのだ。閔よ、爾に黄鉞・金鉦を仮す。農とともに精卒十万を率いて、これを討て」
石閔と李農が再拝する。
鳳陽門を出た。
李農が石閔と轡を並べ、石閔の赤い馬を見て言う。
「ほう、これが駿馬の“朱龍”か」
「……李司空。位を復したのですか?」
「吾は張豺に謀られたほうだからな」
「もともと司空も、張豺と張挙らと共に石世を皇太子に立てるよう、先帝に勧めたのでしょう?」
「いままで年二十を踰えていて皇太子になった者は誅されてきたからな」
「いま十一歳の石世も廃され殺されてしまった」
「……ところで主上は公を儲貳【ちょに】(後継ぎ)にしようとしたとか?」
「戯れでしょう」
「公の力を欲していたのだよ」
「……」
「しかし燕王子を皇太子とした。略陽公蒲洪が諌めたらしい」
「!?」
「沛王が兵を挙げた。ほかの兄弟も黙っていまい。公はどうするのかな」
「……」
石閔が報じる。
「平棘で戦い、敵兵を大いに敗【やぶ】り、沛王を元氏で獲ました」
石遵が言う。
「うむ。さすがだな」
「沛王にどのような罰を?」
「死を賜う」
「……士卒三万余人は?」
「坑【あな】(穴埋め)にしろ」
「陛下」
「うん?」
「略陽公は人傑です。いま公を関中に鎮させていますでしょう。臣は秦・雍の地が国家の有でなくなることを恐れています。これは先帝の臨終の命ということ。しかし陛下が践祚しましたので、みすから改めて図るべきです」
「うむ。蒲洪の都督を罷め、余は前制の如くしよう」
「……諡を武皇帝、廟号を太祖、その陵を顕原陵とする……」
「高祖明皇帝のときは、高平陵と号してあるけれど、山谷にうずめたはずだ。夜に」
「その所を知るものもいない」
「それなのに」
「ほんとうのことをいうと先帝……太祖の柩は別の所に埋めてある」
「……どこに?」
「吾も知らない」
李農は石閔を見て言った。
李農が騎二万を率いる。
それを見て蒋幹が話す。
「晋が大趙を攻め、蒲洪が降ろうとしています。公に下命されませんでしたね。すでに公は都督となって内外の兵権を総べつつあり、殿中の将士などを懐撫しているというのに」
石閔が語る。
「蒲洪は吾のことに怒ったのであろう。吾も少しずつ兵権を奪われつつある。――閔は功を恃み朝政を専らにしようとしている――ということで、主上は忌【い】んで任じないようになってきた。諸将の中に“閔を誅せよ”と勧めている者もいる」
「公がいなければ、大趙の今日があったでしょうか?」
「まえに石氏でありながら羯人に侮られ、いま趙人にすら疎【うと】んじられようとは」
「公!」
蒋幹が小声で言った。石閔がふり向く。
「義陽王!?」
義陽王石鑒が語る。
「苞が関右の衆を率いて、都を攻めようと謀っているそうだ」
「楽平王が?」
「苞は諌めた石光ら百余人を怒って殺したとか。そのため雍州の豪傑らは晋に使を遣わしたらしい」
「……」
「吾ら兄弟は何をしているのであろうか? なあ、永曾」
石鑒は笑った。
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