大金国滅亡(高汝蓮)

   大金国【アンバン=アルチュン=グルン】は亡びようとしていた。
 モンゴル軍が来攻して二十有余年。京師は陥没し、諸郡は残破した。保つ所は、ひとつ蔡州(河南省汝南県)のみである。皇帝は援軍を招いた。しかし復【ま】た至る者はいない。

 ワンギヤ=クトル(完顔忽都)は見山亭に登った。
 甲冑を被り剣を提げた彼は疲れ人色なし。
 城外を見る。
 汝水に屍が、多く浮かび東下していた。
 そのむこうにモンゴル軍は、壕塁を成し、旗幟で天を蔽【おお】っている。
 しかし、いま兵の姿はあまり見えない。
「君祥(クトルの字)!」
 ワンギヤ=セレ(完顔斜烈)が登ってきた。
「昨日、今日と、北面・東面、ともに兵は来なかったな」
 クトルはセレを顧みて、拱手【きょうしゅ】(手をくみあわせる)した。
「……右衛将軍」
 そう答えられて、セレは面をしかめた。
「どうしたのだ?」
 クトルは嘆息して言った。
「なぜ皇帝陛下は、臣に西面の救援をお命じにならないのでしょうか?」
「卿は東面元帥として、力を尽くし、甚だ勇というではないか。それに行宮はここにある。皇帝陛下をお守りしているのと同じだ。何か不足があるのか?」
「我家の汚名を雪【そそ】ぎたいのです」
 セレは城外を望んで言う。
「平章(宰相)どののことか? 吾はあまり知らない」
「兄のボサ(白撒)は国を誤り、獄に下され、餓死しました」
「しかし、従兄の参政(執政)どのは、モンゴル軍に擒えられたのち、降らず、殺されたというではないか。汚名は当たらないであろう」
「キンシャンヌ(慶山奴)のことはともかく、我らは家産を籍(没収)され、吾も安置(追放)されていたのです。右丞(これも執政。ワンギヤ=クシャク――完顔忽斜虎)さまが薦引してくだされなければ、吾は徐州(安徽省)に置き去りにされているところでした。今、まさに報主の秋(とき)です。王事(天子のやること。また臣下の天子にたいするつとめ)に死すといえど恨みはありません」
「純直なやつだなあ」
「……」
「右丞どのは、ここに及んで省・院の事を鉅細【きょさい】(大小)なく、おおよそ親【みずか】ら為された。囲みを受けてから、その営画・禦備に一つとして同じものはない。また、夫人も諸命婦を率いて一軍を作り、矢石を城下に運んでおられる。おかげで城中の婦女は争って出てこれを継いでいる」
「右丞さまは軍旅に在ってすら手の巻をお棄てになりません(戦場に書物を持ってきている)」
「陛下がこの見山亭や同知衙(副県令の官舎)の修理をお命じになったとき、陛下をお諌めした」
 ふたりは城中を眺める。蔡州の公廨(役所)が見えた。
 セレが言う。
「嗚呼、なんと悲痛なことであろうか! あのように宮闕(宮殿)の万分の一に及ばない所が行宮などと」
 セレとクトルは公廨にむかって再拝(二回、拱手し会釈)し、見山亭を降りた。

 その公廨から、大金皇帝ワンギヤ=ニンギヤス(完顔寧甲速)は使令数人を従えて出てくる。かれは肥えた体に、くろい巾・黄衣・金帯という装いだった。
 西面に向かう。
 モンゴル軍は、すでに西城を堕としていた。
 アルチュン(金)軍の軍士・宮中の官・蔡州の民丁は城中に柵を築き、壕を浚【さら】い、砲(投石器)をひいて備えている。男子の衣冠をかりた婦人も木石を搬運していた。
 城中の雑樹は斬伐し尽くされ、民屋も撤去されている。それらを用いて柵の上下に望楼や硬棚【こうほう】(小屋)が築かれていた。
 車駕がにわかに出てきたので軍民は驚愕して、失措【しっそ】し(どうしたらよいかわからなくなり)、ただ道の傍らに跪き、拝した。
 ニンギヤス皇帝は麾【さしまね】き「拝するなかれ」と言って、軍民に遇うたびに必ず丁寧に慰諭し、久しくして、ようやく去る。創(きず)を被った者があれば、親ら薬を傅【つ】けた。
 過ぎる所の軍民はみな踊躍【ようやく】して(おどりあがって)、万歳を称す。「臣らは戦死しょうと恨む所なし!」と言い、感泣する者も有るに至った。

 蔡州の南三里(1.66キロメートルぐらい)に柴潭という淵がある。ここに“宋”と“孟”の旗が風に従って飄【はため】いていた。
 孟璞玉【もうはくぎょく】は降〔伏〕者の言を聞いていた。
「城中は絶糧して、すでに三月。鞍・靴・敗鼓を煮て糜にしている」
「聴くところによると、老・弱のものをいりまぜて食らっているらしい」
「諸軍が言っていた。人・畜の骨を芹・泥と和えて食らうと。また敗軍の全隊を斬り、その肉を取り、以って食らっているとか。ゆえに降ることを欲している者は衆【おお】い」
 江海が言った。
「もうすぐ陥落するでしょう」
「いや、真偽はわかりません。それより、柴潭の下に龍がいるとかで,将士が疑い畏れ、あえて近づこうとしないのです」
 孟と江は柴潭を望んだ。
「決潰させたはずなのに……」
 江が言った。柴潭の両翼は鑿【うが】たれたままである。しかし、いま、雲霧が潭を障【へだ】て、潭水が暴漲し、丈余(3.072メートルぐらい)に及んでいた。
「明日の攻城は止めましょう。江将軍どのには、ノヤン(那顔。長者)どのの救援に行ってください」
「孟将軍どのはどうなさるのですか?」
「飲みます!」
 そう言うと孟は麾下の兵を招いて、酒を飲みはじめた。

 江海がモンゴル軍の陣営に至ると、こちらの諸将も集まって、鮮(生魚)を割き、酒を飲んでいる。諸将のなかでいちばん少【わか】く、天幕のいちばん奥に座っているトガチャル(塔察児)に、江は拱手し、言う。
「ノヤンどの・・・・・・」と宋軍について説きはじめた。
 トガチャルは通事人に耳をかたむけ、鬚をなで、久しくして言う。
「そうですか。われわれも練江という積水を決しました。城壁に逼【せま】るためにしかたのないことでした。ここから数里にあります。そこの魚は大きく、かつ多かった。ジュルチェド(女真人。複数形)もよく捕りに来てました。こちらもまた水がたまればいいのに」
 そして、目前の魚をさし示す。 「汝水の魚は美いですなあ。……おお、こわがらなくてよろしい。これは上流から捕ってこらせましたから。城の近くでは、屍が浮いておりますからな」
 これを通事人が大呼する。それを聞いて江が強いて笑おうとしたところ、トガチャルの手が動き、酒杯を勧められた。

 甲午の歳(金の天興三年、宋の端平元年、モンゴルはオゴデイの六年、ユリウス暦1234年)、正月初九日(ユリウス暦2月8日、グレゴリウス――現行歴2月15日)、昧爽(早朝)、モンゴル軍は西城(西の城壁)を鑿ってつくった五門から、整軍して入ってきた。まず火砲を以って城楼を焚【や】く。
 殿前都点検のウリンダ=クトル(兀林答胡土)と忠孝軍元帥の蔡八児は兵を率いて、鏖戦【おうせん】(勇に乗じて進み、戦う)した。アルチュンの軍士はみな戦いを喜び、死を見ること帰人(死人)のごとく、戦いに出られないのを愧【は】じる。
 軍は金軍の柵を抜けず、暮れに及んで、やっと還った。「来日、また集まる」と声言して。

 夜、皇帝ニンギヤスは文武百官を行宮に集めた。
 かれは御座の榻【とう】(ながいす)に南を向いて即いている。百官は分斑し、殿の階下の磚【せん】(かわら)道の東西に相向かい立っていた。みな面に飢色あり、体に完衣なしである。
「三面から精鋭を摘【と】り、西城に備えましょう」
 右丞のワンギヤ=クシャク(完顔忽斜虎)が言った。彼の状貌は常人を踰えない。さらに衣は敝【やぶ】れている。しかし晏如【あんじょ】として(おちついて)いた。
「城は必ず破られるであろう」とニンギヤスが言うと、百官は悲感したのか仰視できない。

 やがてクトルも招かれる。
 殿に昇り、御座の前を詣でた。北を向き、拱手する。身を退かせ、左膝を跪き、肘を揺らす。そして立ちあがり、名のる。 「東面元帥・権総帥・都尉、完顔承麟(クトルの漢名)……」
「制が有ります!」  とつぜん官僚が称えた。
「拝!」  百官みな再拝。
 制を宣べる。
「内族(皇族)承麟、皇帝位に即くべし!」
「!?」  クトルは駭懼したのか、目と口を大きく開き、周りを見まわした。百官は笑っていない。彼は西を向き言う。
「……臣に……この大位は、あえてあたりません!」
 西に立っていた参政の張天綱が、ようやく笑う。
「よく、そんなことばを知っていたな」
 クトルは面に汗しながら言う。
「臣は皇子でなく、諸王・諸公に封じられていません」
 忠孝軍総帥の元志が告げる。
「しかし内族でございましょう」
「臣は太祖(アクタ、阿骨打)の子孫でないのです」
 参政のブジュリ=ロサ(孛朮魯婁室)が言った。その口は乱戦の中でふたつの歯を堕としている。
「しかし、系は世祖(クリブ、劾里鉢。阿骨打の父)から出ておられ、漢王(ウグナイ――烏古乃のことと思われる。アクタの弟)の後でいらしゃるでしょう」
 軍器監使のジュギヤ=キャオジュ(朮甲咬住)が微笑しながら語る。
「兄上どののことは、もはや大事ない」
 これにはみな驚いたようだ。参政のウクリ=カラ(烏古論高)が言う。
「隔年笑(一年おきに笑う)が笑っているぞ」
 クトルはクシャクを見た。クシャクは莞爾一笑。しかし口を開かない。
 クシャクは年のあまり変わらない奉御のワンギヤ=キャンシャン(完顔絳山)の方を向かって言う。
「内族のかたは他にいらっしゃいます。宜しき人を計ってください」
 キャンシャンはセレを見る。セレは皇帝の方を向いた。
 とつぜん皇帝ニンギヤスは、御座の右、案の上に置いてある匣【こう】(はこ)から、みずから符璽【ふじ】(玉印)を持ち上げ、御座を立ち、階を降りた。
 百官はみな俛伏【ふふく】(ひれふす)。
 ニンギヤスは符璽をクトルに、じかに授けようとした。
 クトルは地に伏し、拝し、泣きだし、あえて受けとろうとはしない。
 ニンギヤスが言う。
「朕の卿に付【あた】える所以がどうして己を得よう(自分だけ助かろう)としてのことであろうか。朕の体は肥えて鞍馬に不便なのだ。城の陥ちた後の馳突【ちとつ】は必ず難しかろう。
 顧みれば、卿は平日からすばやさを以って聞こえ、かつ将略ありという。称えられるべきだ。万一、免れるを得れば、国祚(帝位)を絶えさせないですむ。
 これは朕の志(意思)である」
 ニンギヤスはそう言って、クトルを起こし符璽を授けた。
 クトルは惶恐したようすのまま跪いて受けとる。
 ニンギヤスはようやく退いた。
 左宣徽使のウントゥン=ツィシウ(温敦七十五)と簽東上閤門使事のブジャン=スブス(僕散辞不失)がクトルを引き、御座に陞らせる。クトルはなお甲冑を被たまま、立ったまま、両手に符璽を抱えたままで百官の朝拝を受けた。
 鞭が鳴り、百官が班を定め(班に分かれて整列)、北を向く。
 張天綱が少し離れて言う。
「臣等、稽首し、千万歳寿をたてまつります」
 スブスが言った。
「拝!」
 百官は倶【とも】に再拝、舞踏、万歳を三称した。
「万歳、万歳、万万歳!」
 また再拝。
 香炉の煙がのぼり、楽が奏でられる。楽工も甲冑を被り数寡【すくな】く、宮県(楽器群)も揃っていない。
 クトルは下を向いている。符璽は“大金受命万世之宝”であろう。径は四寸八分(14.7456センチ)、厚さ寸四分(4.3008センチ)、盤龍紐、高厚は各四寸六分(14.1312センチ)。
 ただ蔡八児はひとり拝さなかった。
 親しき所に「事が此に至ったからには、戦死あるのみ。どうして一君に事えるのを更えられようか」と言っていたという。

 このころ孟璞玉は宋の諸軍に令して、銜枚【がんばい】(馬などが、いななかないように枚〈細長い木片〉を銜【ふく】ませること)をさせ、雲梯を分運、城下に布【し】かせた。

 トガチャルもモンゴル軍に号令する。そのまえに羊の肩胛骨を焼いて卜【うらな】う。吉兆を得た。
「万戸どのと元帥どのは北から」
 老将の元帥シアオナイタイ(肖乃台)が先にうなずき、遅れて身長八尺(2.45メートル?)の史天沢も拱手して頷く。
「張千戸どのと江将軍どのには西からお願いします」
 四十五歳の張柔と江海は拱手する。

 十日(9日)、卯(午前6時)、礼は畢【おわ】った。
 新帝クトルは亟【すみ】やかに行宮を出る。百官も従った。
「敵が攻めてくる。捍【ふせ】がなければ」
 クトルは己に言い聞かせるように告げた。
 宋兵は南門に向かい、金字楼に至り、雲梯を列ねた。孟は諸軍に令する。
「鼓を聞けば則ち進め」

 クトルの前に使令が馳せ参じる。南面の城楼にすでに宋軍の旗幟が有るという。
 彼は急ぎ諸将帥を分け、命じて向かわせた。
 俄に四面からの鼓譟【こそう】(さわぎ)、声が天地を震わせる。

 孟が麾【さしまね】く。宋軍の馬義が先に登る。趙栄がこれに継ぐ。他の兵も競って登り、アルチュン軍の高家奴を殺した。アルチュン軍で南門を守っていた者は門を開き、死戦を求める。手に刃を相持って城壁の内外で戦い、殺傷が甚だ衆かった。
 また孟は人をして西北を視させる。則ちモンゴル軍はアルチュン軍となお相持して(はりあって)、土門や水上にいた。孟はそこで西門を開かせ、吊り橋を下ろさせ、トガチャルを邀【むか】え、江を入れる。
 北から、史天沢とシアオナイタイが筏を結び、汝水を潜渡した。
 西から、張柔は歩卒二十余を以ってアルチュン軍の陣を突く。麾下の聶福堅【じょうふくけん】を促して先に登らせ、アルチュン軍の二校(将校二人)を擒えた。また張信を遣わして内隍【ないこう】(うちぼり)に拠らせた。
 モンゴル軍と宋軍は斉進し、アルチュン軍と巷戦【こうせん】(城市内での接戦)する。
 ここで宋軍は参政のウクリ=カラを擒え、ウリンダ(兀林答)元帥(兀林答胡土と別人らしい)を殺した。
 トガチャルもみずから戦う。しかしアルチュン兵と争っているとき、その鬚をつかまれ、危うくなった。そこにセチェン=バートル(苫徹抜都児)が進んで兵を斫【き】り、やっと逃れるのを得た。また、虎符を佩びて城上に立っている(つまり将軍の)アルチュン人と、セチェン=バートルは鉄椎(鉄槌)を以って戦い、ついに撃殺する。

 太上皇となったニンギヤスは伝位の後、先に西北の城の危うくなっているのを覩【み】た。ただちに玉宝“太祖応乾興運昭徳定功睿神荘孝仁明大聖武元皇帝尊諡宝”(この称号はアクタのもの)などを取り、幽蘭軒と名づけた小竹屋に置く。また幽蘭軒のまわりを薪草で環らせる。ふたたび見山亭に往き兵を観て、退いた。号泣し、侍臣に命じて言う。
「死すれば、すぐに我をもやせ」
 ニンギヤスは閤【かく】(くぐりど)を閉め、みずから縊【くび】れた。

 殿前右衛将軍・権左副都点検・内族ワンギヤ=セレは制を矯【いつわ】り、承御のシシヤン(石盞)氏、近侍局大使の焦春和、内侍局殿頭の宋乞奴を招き、ニンギヤスの前に赴かせる。さとすに名分大義を以ってし、侍従官バ=サイン(巴賽音)とアルクン=ウェンキン(阿勒根文卿)とともに、みな死に従う。
 セレはまさに死のうとするとき、奉御・内族ワンギヤ=キャンシャンに遺言し、幽蘭軒を焚【や】かせることにした。
 クトルは子城を保っている。太上皇が崩御したことを聞き、近くにいた百官を率いて幽蘭軒を詣でた。まわりには殉死者がよこたわっている。クトルはセレの屍体を見て狼狽した。すぐ目を背け、軒の奥をのぞく。ニンギヤスの遺体は已に降ろしてあった。玉を口に含ませ、弁髪を解いてある。キャンシャンに詳しく聞いた。クトルはそのまま跪き、小刀を取り出し、軽く額の上を傷つける。血涙が交わって下った。かれは天を仰ぎ大哭した。みなも涕泣している。
 クトルはみなに言った。
「先帝は在位十年、勤倹寛仁であらせられ、旧業を復そうと図られた。志あって就【な】らず、実に哀痛すべきだ。吾はここに諡【おくりな】するのに“哀”を以ってしたい。如何かな」
 みなそれに賛成した。

 ついに敵は子城の下に至る。
 アルチュンの将士は死を誓い、血を瀝【したた】らせて戦った。池(ほり)で戦い、越えられれば則ちひめがきに登る。ひめがきを堕【こぼ】たれ、やぶられれば則ち巷に柵をした。柵を抜かれ、焼かれれば則ち戸を負う。短兵(刀剣)を折られれば則ち空拳を張り、肉薄骨并、背裂け歯砕け、気数を尽くした。

 巳(午前10時)、アルチュン軍は火を挙げ、諸禁近(行宮)を焚きはじめる。

 子城に火の起こるのを見て、また太上皇の崩御を聞き、クシャクは将士に言う。
「吾が君は已に崩じられた。吾は何のために戦うのか。吾は乱兵の手で死ねない。吾は汝水に赴き、吾が君に従う。諸君はその善いとおもうことを計れ」
 言い訖【おわ】って汝水に赴く。
 将士はみな言う。
「相公が死のうとしているのに、われらがしないでおられようか」
 これにおいて参政のブジュリ=ロサ、ウリンダ=クトル、総帥の元志、元帥の王山児、キシリグ=バイス(乞石烈栢寿)、ウクリ=ホルドン(烏古論桓端)および軍士五百余人、みな死に従った。

 張天綱は夫人とともに擒えられる。
 クシャクの夫人は、ほかの夫人らと自刃した。

 ニンギヤスはかつて言う。
「古くから亡ばなかった国はない。ただ亡国の君は往往にして人囚となった。執らわれて、或ものは敵の宗廟に俘として献じられ、或ものは敵の階庭(宮廷)で戮辱され、或ものは空閨に餓死し、或ものは辺地に移置された。朕はすべてさせない。汝らはそれを観よ。朕の意は決まった」
 クトルも意を決した。
 かれはみたび黒旗を揚げ、みたび鼓を鳴らす。そして旗を棄て、剣を搏【と】り、符璽を抱え、身を軍鋒として敵衆に突入した。みなもかれに従っていく。

 キャンシャンはひとり幽蘭軒を離れず、その余燼をひろい、汝水の傍らにうずめた。かれは再拝、号哭し、汝水に赴く。しかしモンゴル軍に救われてしまう。

 孟璞玉とトガチャルは、ニンギヤスの遺骨を拾い、これを分けあった。また俘囚のことばなどで内禅のあったことを知る。しかし、その新しい金主のことは孟もトガチャルも、その名しかわからない。トガチャルは「承麟を獲て、これを殺した」と告げることにした。孟もそれにあわせて「承麟は乱兵の殺す所と為った」と報じることにする。
 クトルの授かった符璽“大金受命万世之宝”は、ついに見つからなかった。


あとがき

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