ほんとに大事なことは(ヒュウガミズキ)

 こんこん。
 ドアがノックされた。
 ぼくは無視した。
 面倒くさいからだ。
 こんこん。
 うるせーなー。
 ぼくは起きあがった。
 新聞勧誘か何かだろうと思い、不機嫌な表情でドアを開けた。
 そこにはめがねをかけたスーツの美女が立っていた。美女ではあるが、性格がきつそうだな、とぼくは思った。
 「小村貴文さんのお宅ですか」
 「は、はあ。そうですが」
 ぼくは返事をしながら、内心、水道料金や税金なんかをきちんと支払ったかどうか確かめた。その女性が役所から来た集金人かと思ったのである。
 「あなたが、小村貴文さん?」
 女性は尋ねた。
 「はい、そうですが」
 今、手元にいくらお金があっただろうか。
 「貴文さんであることを証明する物はお持ちですか?」
 「は?」
 ぼくは一瞬、相手の行っていることが理解できなくてきょとんとした。
 「あなたが小村貴文さんであることを証明する物はありますか、ときいているのです」
 ぼくは、その口調にむっとした。証明も何も、ぼくはぼくだ。その考えが表情に出たのだろう、相手の女性も表情を変えた。
 「失礼。免許証などはお持ちですか」
 ぼくはむっとしたままだったが、免許証を持ってきた。彼女には渡さずかかげて見せた。
 女性はしばらく免許証とぼくの顔を見比べていたが、ひとつうなずくと、
 「有り難うございます」
 と言って、それから鞄の口を開けて、封筒を取り出した。さらに封筒の口を開け、中から折り畳まれた紙をとりだし、それを拡げて黙って読んだ。ひととおりうなずくと、彼女は、紙をぼくの方へ掲げて見せた。
 そして言った。
 「小村貴文、あなたを時間律第43条独裁者出現防止法違反で逮捕します」
 「は?」
 「聞こえませんでしたか、あなたを独裁者出現防止法違反で逮捕します」
 「独裁者…、なんですって?」
 「独裁者出現防止法違反です」
 「独裁者出現防止法違反?」
 「そうです。あなたを逮捕します」
 逮捕、という言葉が理解されると、ぼくは眉をしかめた。正体不明の不安を感じたからだ。
 「た、逮捕って…、あなたは警察か何かですか」
 「失礼、私は時間警察<第5>千年期管区C世紀支庁極東方面隊日本支部東京四谷署重犯罪課2係の、村熊警部補です」
 と彼女は長い肩書きを間違えもせずにしゃべりながら、警察手帳を見せた。よくドラマなんかで見る警察手帳に似ていたが、マークが違っていた。中心から放射状に5本の線が延び、線の先端に横の短い線がくっついている形…、表現法をかえるとすれば、Tの文字を星形にくっつけたような形と言うべきか。その下に時間警察と漢字で書いてあった。
 ぼくがその手帳をまじまじと見ようとしたら、彼女はそれを上着の内ポケットにしまった。
 「と、いうわけで、あなたを逮捕します」
 「ちょ、ちょっと、これはなんの冗談ですか?」
 彼女は顔をしかめた。
 「冗談…? なぜ私が冗談をあなたに言わなきゃならないのです」
 「言ってるでしょうが。逮捕するとか、時間警察だとか」
 ぼくは、相手がちょっとイッてしまったSFマニアか警察オタクじゃないかと疑った。
 「なるほど、あなたは信じてはおられないわけですね」
 「あたりまえだろ」
 「まあ、無理もありませんが。説明しても良いですが、その間に逃亡しようなどとしても無駄ですよ。あなたはトレースされてます。絶対のがれる事の出来ない方法で」
 「なんで、俺が逃げまわらにゃならんのだ」
 女性は、ふっと笑みを浮かべた。大した度胸だ事、とでも言いそうな雰囲気である。それからちらっとぼくの背後の部屋の中をのぞき込み、
 「いいでしょ、ご説明いたしましょう。この場でお聞きになりますか。なんなら署までご同行願っても」
 「あーあー、わかったよ。どーぞっ、ちらかってますがっ、おあがりくださいっ」
 嫌みたっぷりに言ってぼくは部屋に入った。彼女は後から玄関に入り、ドアを閉めると、
 「失礼」
 と言って上がってきた。
 「適当にお座り下さい」
 と言うと、彼女は対して広くない部屋をじろじろと見回して、
 「汚い部屋ですね」
 「お悪うございました」
 「彼女もいないのでしょう」
 「余計なお世話です」
 彼女はカーペットの上をぱっぱっと払うと、きちんと正座した。
 「で、なんなんだよ、あんたは」
 「お茶は出ないのですか」
 「…」
 ぼくは無言で立ち上がると、やかんをガスレンジにかけた。
 「しばらくおまちをっ」
 ぼくも正座した。
 「それで、あなたはなんなんなのですか」
 「もう、お忘れになったのですか。私は時間警察<第5>千年期管区…」
 「それは覚えてます。その時間警察やらとはなんなんですかって聞いてるんですっ」
 「ああ、そうでしたね」
 などととぼけたことを言って、
 「時間警察とは、時間犯罪を取り締まる警察のことです」
 「…」
 「…」
 「…それで?」
 「それで、とは?」
 「それだけじゃ、なんの事やらさっぱり判らないでしょうが」
 「時間犯罪を取り締まるって事ですか?」
 「あーそーだよっ。たったそんだけでは、さっぱりわかんないねっ」
 「あなた頭悪いですね」
 「余計なお世話だっ」
 彼女は肩をすくめた。
 「しょうがないわね。説明しましょ。時間犯罪ってのはですね、時間機を使用して過去へ戻り、歴史を変更してしまうことです」
 「それで?」
 「歴史を変更されては困るでしょう。それを取り締まるのが私たちの仕事です」
 「あーそーですか」
 ぼくは無表情に答えた。今どき、SFでも書かないような陳腐な説明だ。
 「それで、ぼくが何かしでかしたとでもおっしゃるわけですか」
 ぼくはだんだん面倒くさくなってきた。元々あまり根性のある方ではない。
 「はい。あなたは時間律、これは時間犯罪に関する法律のことですが、時間律の第43条、独裁者出現防止法に違反しました」
 「独裁者出現防止法ってのはなんですか」
 「独裁者を出現させないようにする法律です」
 「具体的にどういう法律かと聞いてるんです」
 「独裁者が出現して、民主的な制度を破壊しないための、法律です。それくらい判ると思いますが」
 「ああ判りますよ。それで、ぼくが何をしたというのです。独裁者にでもなったって言うんですか」
 「いいえ。独裁者出現防止法は、独裁者には適用されません。独裁者は基本的には罰せられません。なぜなら、独裁者とは、すでに非民主的な活動を行った人物を指すのであり、つまり独裁者として出現した後の話で、それを取り締まるのは歴史を改変することにつながるからです」
 「はあ? じゃあ、今言った民主的がどーのこーのっていうの、守れ無いじゃないか」
 「だから、独裁者出現防止法があるのです。独裁者を出現する前に、それを取り締まるのです。もっと詳しく言いますと、歴史上になかった独裁者が出現してしまった場合、その出現に関わった人間を出現前にさかのぼって取り締まると言うことです。また出現してから取り締まったのでは、いろいろ歴史に大きなキズを残すので、やはり出現前に取り締まって、歴史上に独裁者を無くしてしまうわけです」
 だんだん話が分からなくなってきた。
 「よくわからんけど、じゃあなんでヒトラーとかがいるんだよ。出現前に取り締まるんだろ」
 「私は、歴史上に存在しないはずの、と言いました。ヒトラーは歴史上に存在するから取締法には適用されないのです」
 「はあ?」
 ますます判らなくなった。歴史上に存在しないはずの独裁者ってどういうことだ?
 「つまりですね。時間機が作られる前、タイムトリップの理論が確立される以前を歴史上と便宜的に呼んでいるわけです。その歴史上に、本来はいるはずのない独裁者が出現した場合、その出現に至った原因を調べ、出現しないように歴史を元に戻すのです」
 「それで、出現させたやつを取り締まるって言うんだな」
 「やっとご理解いただけたようで」
 「理解してねーよっ。その理屈で、なんで俺が取り締まられるんだっ」
 「あなたは、独裁者を出現させることが確定的となったからです」
 「なんだと?」

 やかんが、ピーッと音を立てた。音はだんだん大きくなる。ぼくは立たなかった。
 「やかんが鳴っていますよ。お湯が沸騰したようです」
 と彼女は冷静に指摘した。
 「そんなことは判ってる。俺が独裁者を出現させるとはどういうことだ。それを聞くまではたたんぞ」
 「音がうるさくなってきました。こううるさくては説明できませんが、それでもよろしいので」
 ぼくは舌打ちすると、立ち上がりレンジの火を止めた。音が徐々に小さくなる。
 やかんのお湯を、洗ってお茶の葉を入れた急須につぎ、少し揺すってから湯飲みに注いだ。
 「どーぞっ」
 彼女は息を吹きかけさめるのを待ってから、少しだけ飲んだ。
 「もう少し待ってからの方が、おいしいお茶は出ますよ」
 と余計なことを言った。
 「どーも。それで、なんで俺が独裁者を出現させた罪に問われるんだよ。身に覚えはないぞ。知り合いにだって変わったやつはいるが、そんな独裁者になりそうなやつなんていねえぞ」
 「独裁者となるのは、あなたの息子です」
 「は? 息子?」
 「そうです。あなたの息子、小村貴憲です」
 「はあ?」
 息子だって?
 「ちょっと待ってくれ。何か勘違いしてないか。俺は独身だし、息子なんていないぞ」
 「ええ知っています。あなたが独身で、妻もいなければ、彼女がいないこともさっき確認しました」
 「じゃあ…」
 「息子とは、将来生まれるあなたの子供のことです」
 「将来…?」
 「今から3年後に生まれるはずの子供です。ついでに言いますと、その息子さんは、名前を貴憲と付けられます。国立大学を卒業後、ある商社に勤めますが、2年後退社。一旦、大学院に進み、政治学を専攻後、そこで出来たコネを元に、ある政治家の秘書となります。そこで手腕を発揮し信用を得ます。4年後、その政治家が急死したのを受け、後継者として政界にデビューし、カリスマ性を発揮して、瞬く間に若手グループを創設します。折しも経済問題、外交問題で汚点のあった当時の内閣が倒壊し、総選挙でも敗北したため、彼の所属する党は野党になりました。しかしこれが良かったのでしょう。この間に精力的に動いて政財官で多くのコネを作り上げ、次の総選挙で与党に復帰すると、手腕を発揮します。内閣改造で入閣し、時には身内の不祥事にさえもだめなモノはだめという姿勢を貫き、国民の支持を得ます。内閣一つを経て、重要なポストに就いた彼は、外交問題を巧みに処理、その次の選挙で所属党がぎりぎりだったのが逆に党内の長老らを抑える条件となり、内閣総理大臣となります。前例にこだわらない手法で人材をそろえ、難問を解決し、党は勢力を回復します。その後、その若さと人気を背景に、周囲の国家の混乱を利用して、広範囲な勢力圏を成立させ大アジア連邦を作り上げます。しかし欧州との接近が、アメリカを刺激し、貿易摩擦の激化を経て、ついに両者は戦争に及ぶのです」
 彼女はこの長いセリフを原稿も読まずにしゃべり、一息ついて、お茶を飲んだ。
 「わかりましたか」
 「…戦争になったと言うところだけ」
 「わかったでしょ。あなたの息子は、大勢の人を犠牲にし、歴史を大きく改変してしまうのです」
 ぼくは、何か悪いことをしてしまったような罪悪感に襲われた。
 「それは、だって、知らないですよ、そんなこと。ぼくの息子がそんなこと」
 「これは実際の歴史とは大きく異なっています。しかし小村貴憲は、つまりあなたの息子が、どうしてそういう人生を行くことになったのか。私たち警察はその点を調べ続けた。これはかなりの困難を伴いました。個人レベルの問題は、歴史の広大な流れの中では、ほんの些細なこと。しかし些細なことが大きな問題へと発展していくのは、この時代でもカオス理論等で証明されていることです」
 「うーん…。わからん」
 「それで、調査を進めた結果、原因はあなたと言うことになったの」
 「お、おれ…?」
 「正確に言うとあなた以外にない、と言うことですが」
 「は?」
 「小村貴憲が独裁者へと発展していたことには、彼の人格が大きく関わっていると言うことになる。では、そういう問題に於いて、彼の人格が大きく影響を受けたのは、人生のどの点か。これは、脳がどういう機能を果たしているかの点でも問題となる。それは脳の形成過程、機能の分布、神経ネットワークの構造と階層とかの点などとさらに関わるわけだけど、つまり成長過程でなんらかの影響を受けている事が行動の結果を生むと言うこと。それはすなわち、彼の幼児期に問題がある可能性が一番高い。彼の人生を細かく分析した結果でも、幼児期に何かの問題があると考えられる。つまり、あなたとの関連が深い」
 「ぼ、ぼくですか…」
 「あなたの育児教育に原因があったというわけです」
 「そ、そんなこと言われても」
 「よって、あなたを独裁者出現法違反で逮捕します」
 「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなこと言われてもよくわからないし、そうだ、教育がどうのこうのというなら、母親だってあるだろう。その、ぼくの奥さんはどうなるんだよ。誰なのか知らないけど」
 「その通りですが、あなたは、結婚してまもなく離婚しており、子育てはあなたが行っているわけです。つまり、あなたが原因なのです」
 「それは、その離婚したというのだって問題になるんじゃねえか。それはどうなんだよ」
 「離婚の原因は全てあなたにあるというのが、司法の判断です。よって、離婚の原因を作った点でも、あなたに罪があるというわけです」
 「そんな…!」
 結婚もしたこと無いのに、離婚の罪などと言われてもどう考えていいやら判らない。
 「あなたは、裁判にかけられ、刑が確定します。よろしいですね。では、私と一緒に出頭してもらいます」
 「な…」
 「ああ、言うのを忘れておりました。あなたには弁護士を雇う権利がありません。また黙秘しようとしまいと関係ありません。と、これを言っておかないとね、一応規則ですから」
 そう言うと、彼女は手錠を取り出した。ぼくはあわてた。
 「おい、弁護士を呼ぶ権利がないってのはどういうことだ」
 「時間犯罪というのは、空間犯罪、いわゆる一般犯罪とは全ての概念が異なります。つまり犯罪が確定した時点、すなわち歴史が改変されたと判明した時点では、それを取り締まり裁くこと自体がさらなる改変を引き起こす事になります。よって犯罪発生前の時点での措置が必要となるわけです。すなわち、ムルガーの時間粘性理論、フェッセンデンの事前則などを基礎としていますが、いかなる理由があろうとも犯罪の原因を作った人物の刑を軽減することはあり得ないのです。なぜならば刑罰の軽重すら歴史にどういう変化をもたらすか判らないからです。よって、犯罪の原因を特定した時点で、それに相応する刑が決定し、それを実行しなければならない。空間犯罪で言うところの、反省を求める、とか、犯罪抑止のため、というのではないのです。歴史の改変を避ける処置が、則ち刑なのです。例えそこにどんなに不運な理由があったとしてもです。だから弁護活動もないし、当然再審請求権もなければ、裁判は非公開であり、上訴も認められておりません」
 「…」
 「よってあなたの罪は確定しており、この時点ではその罪に対しどういう刑を定めるかが問題となります。そうそう、逃亡などと言うようなことは考えない事ね。いかに空間を逃げようと、時間的に追跡されれば、逃げ切ることは不可能よ。余計なことして罪を重くする必要はないわ。はい、手を出して」
 「き、聞いてもいいか」
 「なに」
 「その刑とはどういうものなんだ」
 手錠を構えていた彼女は片方の手を顎にやって、「そうね」とつぶやいた。
 「いろいろあるけど、それを今説明してもしょうがないわね」
 そう言うと、ポケットから携帯電話を取り出した。
 「村熊です。被告小村貴文を逮捕連行しますので、こちらに来て下さい。さ、立って、玄関に行くのよ。上着はそれでいいのね」
 1分ほどして、彼女よりも少し年上の男が現れた。彼も手帳を取り出してみせると、
 「時間警察<第5>千年期管区C世紀支庁極東方面隊日本支部東京四谷署重犯罪課2係の神谷巡査部長です」
 と口調も丁寧に言った。ぼくがぼんやりしていると、村熊警部補が手錠をぼくの手に掛けた。
 「あっ」
 「この家の鍵はどこ」
 「は?」
 「家の鍵です」
 「え…、あ、机の上の鉛筆の入ったグラスにかけてあるけど…」
 彼女は神谷巡査部長にうなずき、巡査部長は靴を脱いで机の所まで行くと、鍵をとった。それから部屋を見回し、窓を閉め、鍵をかけた。ぼくが玄関で靴を履き、ドアから外に出て振り向くと、彼はガスの元栓を閉めていた。それから外に出て、とってきた鍵でドアを閉めた。
 アパートの下には白い乗用車が止まっており、ぼくはその後ろの席に乗せられた。村熊警部補は手錠につながったひもを持ってとなりに座り、神谷巡査部長は運転席に座った。
 「いいわ、出して」
 車が発進する。まもなく、神谷巡査部長は前の席のボードにある無線機を取り上げ、どこかに連絡をした。車は、町中を抜け、高速道路へ上がった。都心方面へと向かう。
 「なあ、これからどうなるんだ」
 「さっき言ったでしょ。これからあなたは私たちの手で裁判にかけられるのよ。罪は確定されているから、刑を確定するだけだけどね」
 「君たちが裁判を行うのか?」
 「そうよ。<第5>千年期管区C世紀支庁極東方面隊日本支部東京四谷署の中で行うのよ」
 「そうなのか? 警察は刑を決めるところじゃないはずだろ。この間見たドラマでも言っていたぞ、警察は罪人を捕まえるところで、裁くところではないって」
 「それは空間警察、一般の警察のことでしょう。私たち時間警察は、司法裁判権も付与されてるのよ。あなたは罪人なんだから、少しは静かにしていなさい」
 後は、何を言っても、彼女は答えてくれなかった。

 時間警察の<第5>千年期管区C世紀支庁極東方面隊日本支部東京四谷署は、新宿区四谷駅の近くにあった。20階建てくらいのビルである。地下の駐車場に入るとき、看板が見えた。
 『ホテル・メガロポリス新宿』
 と書いてあった。
 「ここは、ホテルじゃないか。警察署じゃないのか」
 「ばかね。時間警察が看板出してるわけないでしょ。ばれたらまずいじゃない。それこそ歴史に対する干渉になるわ」
 「ここのホテルは、我々が経営している。もちろん、カムフラージュのためだが、見せかけだけじゃまずいからね。ホテルは商取引という点ではこじんまりとしているから、歴史干渉も少ないし、また問題があっても補正がきく。重要だけどそれほど目立つわけでもないから便利なのさ」
 と、運転しながら神谷巡査部長が説明した。
 車は地下駐車場内をタイヤの音を響かせながら進み、一番奥の一角に止まった。
 「さ、下りて」
 「あ、ああ」
 すぐそばの従業員専用エレベーターに乗せられると、一気に18階まで上がった。
 18階は、宿泊フロアではなく、各種会議場、式場がある。その裏側、テーブルやイス、その他の大小道具が置いてある倉庫のような一角を通り抜け、ある部屋へ入った。ここまで客はおろか従業員にも全く出会わなかった。
 部屋には窓があり、入ってきたのとは異なるドアがもう一つあった。
 それまで手錠のひもを持っていた村熊警部補は、そのドアを開けて隣の部屋へ移動し、ひもは神谷巡査部長が受け持ち、ぼくはイスに座らされた。
 しばらくして、村熊警部補はドアを開けて現れた。
 「裁判を始めるわ。こっちへ来て」
 隣の部屋へはいると、馬蹄型の長いテーブルが置いてあり、窓側に数人の男女が座っていた。ぼくは、その反対側、テーブルが切れている部分に置いてあるイスに座らされ、横に神谷巡査部長が立った。村熊警部補はテーブルの一角に腰を下ろし、真正面の数人の男女に向かって、
 「被告小村貴文です」
 と言った。
 すると、馬蹄テーブルの頂点に当たる真正面の男がうなずいて、重々しく口を開いた。彼の表情は窓からの逆光でよく見えなかったが、50年輩の男のようだ。
 「只今より、時間犯罪者小村貴文の裁判を始める」
 ぼくはつばを飲み込んだ。
 「被告小村貴文、名前は間違いないかね」
 ぼくが呆然としていると、
 「小村貴文に間違いはないのか」
 「は、はい…」
 「年齢25歳、性別は男。β22因子所有、殻子は第3種人類。京都府京都市左京区出身。現住所東京都多摩市…」
 となんだかぼくのデータを読み続け、
 「間違いはないな」
 「は、はい…?」
 「よろしい。では警視、罪を説明してくれ給え」
 「はっ」
 こちらから見て右側の男が立ち上がった。
 「被告小村貴文は、今から3年後に妻さとみとの間に男子を一名もうけ、貴憲と名付ける。しかし、浮気が原因でまもなく妻とは別居、家庭裁判所の調停により、離婚が成立した後は、男手一つで貴憲を育てる。しかし、彼は一子貴憲に対し過剰な期待と厳格な親子関係を求め、厳しく育てようとして、貴憲の精神に深刻な障害を引き起こす結果となった。これが、その資料です。その資料の3ページ目図2にもありますように、貴憲の保存されている脳の構造を調査した結果、脳神経細胞の構造整理期に生じるハフター・ヴィンテル網状痕に分裂が残っております。また、脳細胞間髄液の成分から、グルコース・テルミン3−2酸の濃度が通常の人間の約2.5倍高いことからも、彼の成長過程におけるストレス網状裂症候群が証明されます。つまり、子育てに問題があったと言うことです」
 そのわけの判らない説明に、見ても理解できない資料を渡されたぼくは、訳が分からないまま不安感だけが増加した。
 「その結果、彼は自らの内面喪失感を人類に対する義務にすり替えて精神的安定を欲するようになり、その能力を人類の支配に向けることになりました。そしてみなさんご存知の通り、莫大な犠牲を出した<第5>千年期866年からの8年に及ぶ世界大戦は、彼の独裁制度の結果です。もちろん、彼を支持した民衆にも充分なる問題があります。しかし、その制度、体制は、充分なる判断の機会を民衆に与えることが出来なかった。その結果、歴史の逸脱率は871年には指数95を超え、歴史管理局のコンピュータは警報を出し、時空切り離しを決定しました。この措置は、歴史管理局及び時間警察設置以後、つまり公定暦設置後最悪の非常事態であり、犯罪調査が徹底されるに至ったのであります」
 その説明の間、ぼくにも様々なデータが記された資料が渡された。そこには、未来の年表とやらが記されているほか、グラフや表、さらに写真が掲載されていた。写真には、東洋人のハンサムな人物がピッタリとした制服を着ていて、オープンカーの上に立ち、紙吹雪の中で民衆に手を振っているものもあった。壁に貼られた同じ人物の選挙ポスターの写真もあり、鎧のようなものに覆われた船が何隻も浮いていて、そこからミサイルのようなものが発射されている写真もあった。巨大なキノコ雲が二つ前後に立ち上っている写真もあり、大きな宇宙ステーションのような写真もあった。
 「以上の点を総合し、被告小村貴文には、時間律第43条の独裁者出現防止法違反に該当すると決定しました。以上です」
 「よろしい。では、この罪に対し、被告の言い分を聞こうと思う。小村貴文被告、意見はあるかね」
 資料を見ていたぼくは顔を上げた。
 「あの、ぼくには未だによく理解できない、というか信じられないと言うか、その、未来のぼくのしでかしたことで、なぜ、今のぼくが罪に問われなければならないのですか。今の時点だったら、未遂じゃないですか。ぼくは、まだ結婚もしてないんですよ。今の話じゃ、結婚後にぼくが浮気か何かして離婚に至ったのが問題なわけでしょう。それなら、そのときのぼくが問題なんじゃないんですか」
 「時間犯罪の基準を君に説明しても理解が得られるとは思えないが、ま、わかりやすく言うとだね、問題の発生した時点、君の場合だと、君が一人で子育てをする原因である離婚した時点だが、その時点で、問題を罪と定めて、刑を確定しようとしても、それはその後の歴史に影響を及ぼすことになるのだ。つまり、問題とはならなかった本来の歴史にだ。君の子供が産まれ、子育ての期間が始まろうとしている時点では、本来の歴史にも影響を与えてしまいかねないのだ。君は知らないことだし、今の時点では君に言うことは出来ないのだが、本来の歴史における君の子供は相応に意味のある人生を送っているのだ。だから、その子供の人生、あるいはその子供が関わる大勢の人生にも、影響の与えることはたとえ犯罪の刑罰であってもできないのだ」
 「じゃあ、今だって同じ事じゃないんですか。今、ぼくの人生をどうにかすれば、やっぱり将来に影響が」
 「今は、まだ君には子供もいないし、妻もいない。これはだな、君の子供の人生を本来の方向へ戻すための余裕に十分当てはまるのだよ。これはフェッセンデン博士の理論や、ペレイエス・ドゥルガー教授の学説に基づくのだが…、ま、わかるまい」
 「ぼくをどうするのか知りませんが、結婚する相手は変わるのですか? それは問題ないのですか?」
 「今言った余裕の期間であればな、代わりがきくのだ。もっと具体的に言うとだな、歴史とは誰であるかが重要なのではなく、何があったかが重要なのだ。ナポレオンがその覇業の途中で殺されても、誰かがナポレオンの役目を果たせればそれで良いのだ。ま、この例はちょっと極端か。君で言うなら、君の子供がやることが重要なのであって、君の遺伝子を継いでいるかどうかではないのだ」
 「じゃあ、ぼくが結婚できなくても、子供がいなくても、それに代わる子供がいれば良いというわけですか」
 「その子供が、君の子供の行った位置にはまればそうなる」
 「つまり誰の子供でもいいと」
 「有り体に言えば、そう言うことだ」
 ぼくは何となく不愉快になったが、ふと気づいた。
 「それじゃ、もうひとつききますが、もし、ぼくの、その奥さんとの離婚がですよ、原因となるのなら、離婚しないようにすることは出来ないのですか。取りなしたり、原因となる、その、浮気ですか、それを出来ないようにするとか」
 「それをやりだしたら、連鎖的につながった事象全てに介入していくことになり、影響が拡大していくのだ。コスト的にも無駄が大きい。それに、君の場合、どういうパターンをとっても、君の浮気で離婚する可能性が高い。つまり一度の補正が全ての問題を解決するとは限らないのだ。よって、君は罪を確定され、刑に服することになる。つまり、刑とは我々の管理下に置かれると言うことだ」
 そこまで説明されて、何となく判ったような気がした。しかし、納得できない点も増してしまう。ぼくはそんなに浮気者なのか? まあ根性のないところがあるのは事実だけど。
 「で、ぼくの刑はどうなるんですか。どこかの刑務所にでも収監されるのですか。それとも追放刑ですか」
 ぼくは投げやりに言った。
 「収監や追放というのは、空間犯罪に対する刑罰であろう。まあよい。君の言い分がこれ以上ないのであれば、刑を宣告する。君の刑は、」
 「刑は…?」
 ぼくは緊張した。
 「恋愛禁止の刑とする」
 「は?」
 「この裁判は時間犯罪の基本により一審制であり、上訴は出来ないので、ここで刑は確定した。君は、以後自由恋愛を禁止されることになる」
 「あの、どういうことですか」
 「君は、以降、自由に恋愛は出来ない。しかし、拘禁などの措置を行使して君のそれ以外の権利を侵害することは出来ないので、当然ながら、ここで釈放となる。そのため、君には自由に恋愛をすることが可能な状態であることには変わらなくなる。そこで、刑を執行するに当たり、君には結婚をしてもらう」
 「へ?」
 「へ、ではない。君の恋愛を制限するためには、我々の監視下に置く必要がある。よって、我々で用意した女性と結婚してもらう」
 「け、結婚…?」
 「さて、問題は誰を君の相手とするかだが…」
 「あのお、その刑に服さなかったらどうなるんですか」
 「それは不可能だ。時間警察が歴史管理局の代理機関として君を管理下に置くからな。この管理下からは逃れることが出来ない。我々は時間上で君を管理するからだ。ま、それでも服さない場合には、君を時間上から抹消し、別の君を用意するだけのことだ。さっきも言ったが、大事なのは、誰か、ではなく、何をするか何をしたか、であるからな。その点で言えば、君に結婚させるのも、死刑にするのも、大して違いはない」
 「そんな…」
 冗談ではない。死刑も冗談ではないが、見ず知らずの女と結婚させられるのも冗談ではない。
 「あー、村熊君」
 「はい」
 「君を刑に処すための措置として、彼の妻となってはもらえないだろうか」
 「私、ですか…」
 驚いたのはぼくである。彼女の顔を見る。
 「うむ。君には大変なことであると思うが、君も知っての通り、今回のことは非常に緊急性を必要とし、また予想しなかった問題でもあったため、準備が出来ていない。特に彼の」とぼくを顎で指し、「彼の知り合いの中から条件に合う人物を選び、こちらで密かに教育を施すことが出来なかった。また、我々側で条件に合うのが、君しかいないのも事実なのだ」
 「…」
 彼女はややうつむいた。その様子を見ると、少々気の毒になってきた。
 「すいません、ちょっといいでしょうか」
 「なんだね小村君」
 「彼女を私の妻に、とおっしゃいましたが、彼女は時間警察の方なのでしょう。犯罪者と結婚させたりして良いのですか? いや、それに、過去の世界で結婚させて良いのですか」
 「…君は、何か勘違いをしているようだな」
 「と、いいますと」
 「いいかね、犯罪者だろうが、警官だろうが、職業や立場が結婚に障害となるような問題ではないだろう。特に、君の場合は空間犯罪ではなく、時間犯罪なのだからな。それから、君は我々のことを未来から来た人間だと思っているようだが」
 「違うんですか?」
 「我々は現地のスタッフであり、我々はこの時代に生まれ育った人間だ。特定の時代を除いて、時代ごとの要員はその時代から雇われ、未来から来るのは監査委員だけである」
 「じゃあ、彼女も?」
 「そうだ」
 ぼくは、彼女の方を再度見た。まだ下を見ている。
 「あのですね。ぼくはともかく、彼女の意思は尊重されるべきじゃないんですか。知らないですけど、彼女には恋人とかいるかもしれないじゃないですか。いきなりそんなことを言われたら、かわいそうですよ」
 「私、かまいません」
 と、突然彼女は顔を上げて言った。
 「やってくれるか」
 「はい。なによりも未来のため民主主義のために」
 「よく言った、それでこそ時間警察官の鏡だ」
 「ありがとうございます」
 盛り上がる中で、ぼくは完全に無視されてしまった。

 あれから、2ヶ月が過ぎた。
 この日、ぼくの両親が京都からやって来た。彼女の両親に会うためだ。
 「お父様とお母様には、東京を楽しんでもらわなきゃね」
 彼女は台所でうれしそうに言った。演技には見えない。
 「私の両親も楽しみにしているのよ」
 「君の両親ったって、本当は君の上司じゃないか。大体君の実の両親はどうしてるんだよ」
 「やだ、何言ってるのよ、あの両親が私の両親よ」
 あの両親、つまりあの裁判の時に裁判長の役目を担った真正面の50男(身分は警視監だそうで、あのホテルでは支配人と言うことだ)とその左側で、一言もしゃべることの無かった中年の女性だ(この人は、警視正だそうで、あのホテルでは副社長らしい)。このふたりが彼女の両親のフリをしてぼくの人生を監視しているのだ。役所の記録、書類上は両親と言うことになっているらしい。
 「いいじゃない、誰でも」
 とにこにこ顔で言う。
 あれから、つまりぼくが突然逮捕され、裁判にかけられた日から以降で、一つだけ全く変わったことがあった。
 それは彼女、つまり村熊みき警部補の性格である。
 あの、我が家に突然やって来たときの冷たいお堅い雰囲気が完全に消え失せ、もう不思議なくらいに明るい性格に変貌した。その上想像もしなかった甘えぶりなのである。
 最初、それは演技だと思った。人前でこれが時間犯罪に対する刑罰であることをごまかすために、演技しているというわけだ。ところが、二人っきりになっても演技が続くので、ぼくはいささか皮肉っぽい気持ちになって言った。
 「二人っきりなんだから、そんな恋人同士を演出しなくても」
 「どーして? 私たち結婚するのよ、いいじゃない」
 「え、いや、でも誰も見てないんだし、」
 「見てないから甘えるんでしょ、」
 「は…?」
 その後、それは任務のための演技ではなく、彼女自身が何かしらのけじめを付けようと思って、そう言う態度をとっているのかと思った。
 しかし、最近では別の考えが浮かんでいる。
 その日、両親を迎えに東京駅へ行った。京都からやって来たぼくの両親は、事情を全く知らず、彼女のことを本当に彼女だと思っている。先月の終わりに彼女を京都へ連れていったとき、
 「まあまあ息子がお世話になってます。ほんと、ふがいない息子でいろいろとご迷惑をおかけしているのでは」
 などとタタミに両手をついてお辞儀する両親のそのセリフに、皮肉中枢を強烈に刺激されたものだが、もちろん、両親は皮肉を言ったわけではない。彼女もそのとき、あわてた様子で丁寧に挨拶を返していたが、どう見ても演技には見えなかった。
 その両親が、新幹線から降りてきて、ぼくと彼女の顔を見つけると、駆け寄ってきた。
 「まあまあみきさん。わざわざお出迎え有り難うございます」
 「お父様、お母様、今日はわざわざ私の両親に会うため、京都からはるばる…」
 などと彼女が返すと、
 「あらやだ、お母様だなんて、照れるわー」
 てな具合だ。
 都内の豪華ホテル(自分の所ではなく)でお食事会となり、両親と彼女の両親(のフリをしている時間警察<第5>千年期…なんたらの東京四谷署幹部)は、これまた丁寧な挨拶合戦に及んだ。
 「ほんとに、うちの息子なんかにはもったいないすてきなお嬢様で」
 「いやいや、貴文君には才能のきらめきを感じますよ。うちの娘にこそもったいないくらいで」
 「そのようにおっしゃられますと恐縮ですわ」
 「なんのなんの。何れは我が社の経営にも参加してもらおうかなどと考えているくらいで」
 ちなみに、彼女の両親(のフリをしている二人)は、あの時間警察四谷署のあったホテルのオーナーと副社長というふれこみだから、当然、彼女も会長の御令嬢というわけだ。今、23歳なので(これはあの後知った)、大学を卒業して、ホテルで修業の身、と世間では思われている。
 さらに言うと、あのとき彼女と一緒にうちに来た神谷巡査部長は、ホテルの厨房ではコック長の次に偉くて腕の立つ料理人だそうである。
 彼女の父親(のフリをしている)オーナーが言った「我が社」とは、言うまでもなくあのホテルだ。
 「まーまー、なんともったいないお言葉で、ねえあなた」
 などとうちの母親は有頂天だ。なにしろ、ホテルの会長の娘のハートを射止めたものと思っているのだから当然だ。
 この中で、ぼくだけが密かにため息を付いていたのは言うまでもない。
 話は盛り上がり、意気投合して、彼女の両親(のフリ…ああ面倒くさい)が、うちの両親を連れて東京見物をさせることになり、
 「まあまあ、若い者は若い者同士で…」
 などと言い、
 「やだ、お見合いじゃないのよ、もう」
 と彼女が言うと、急に「親子」は、顔を寄せ合ってひそひそと、
 「今日はこの後ご両親を案内して忙しいのでな、仮におまえが明日まで帰ってこなくても、たぶん気づかないだろうからな」
 「やだ、お父様ったら…」
 などと小さくつぶやいて彼女が顔を赤らめたりと、この偽家族の演技と来た日には、現実の家族も真っ青だ。
 「うちに来たときとは、まるで別人だ…」
 「なに? なんか言った」
 彼女は少し首を傾げるような顔つきでぼくの顔を見た。
 「いや、なんでもない」
 「そう…」
 と彼女はつぶやいてから、顔をしたに向け、それからちらっと上目遣いでぼくの顔を見る。
 「あの…」
 「なに」
 「あのね…」
 「なんだよ」
 「今日ね」
 「ああ」
 「今日…、ううん、今晩のことだけど」
 「今晩?」
 「…泊まってもいい?」
 消えそうなほどの小声だ。
 「なんだって?」
 「聞こえたくせに」
 などと言って、そっぽを向く。ぼくは目を半開きで、廊下の向こうを行く、両家の家族をぼんやりと眺めてため息を付いた。
 「いいでしょ?」
 「いいよ。大体俺に断る理由なんかないじゃないか」
 「だって…」
 こうして、これまで夜遅くなったら帰ってた彼女は、ぼくのうちに泊まることになった。
 夜になって、予定通りとはいえ、これまた不思議なことに二人の間でそれなりのイイ雰囲気になったわけだが、そこで彼女はひとこと、
 「一応、つけてね」
 と、自分のバッグから箱に入った薄くて丈夫なモノを取り出し、
 「生まれるのは3年後だから。一応、あわせといた方がいいし」
 ぼくは、自分の息子が独裁者になる話を思い出して、その気になりかけたものがだめになるところだった。
 で、彼女を抱いたから言うのではないのだが、ぼくは、最近この生活でもいいかって気分になっている。最初にあったときのあのお堅そうな彼女のままだったら少々うんざりしているだろうが、正直、今の彼女の態度はそう悪くはない。
 きっと、未来からの様々なぼくの調査の結果、そう言うタイプが好みだって事もお見通しなのだろう。
 そうして、ぼくが浮気だとかしないようにして、未来を所定の通り進行させようというわけだ。
 ただ、ぼくは、このごろ、ある考えが頭の中に浮かんでいる。
 彼女の態度の変化から思いついた考えだ。
 彼女が演技していたのは、最初にぼくのうちへ来て、妙な時間裁判なんぞにかけられたところまでだったのではないか。つまり、今の彼女のあの甘えぶりの方が、彼女の本質なのではないか、と言うことだ。
 それを飛躍させると、突拍子もない考えへと発展する。
 つまり、ぼくは最初からある目的のためにペテンにかけられていたのではないか、と言うこと。
 考えてみれば、変な話だ。
 いきなり人の家に来て、「時間警察のものだが、君は将来独裁者を誕生させる原因を作るので、逮捕する」
 なんて話、信じられるだろうか。
 ついつい、それっぽい話の内容や資料なんかで、そんな気にさせられただけで、実は、最初からこの結婚が目的だったのではないか。時間警察なんて、そのための作り話で、彼女の両親も本物の両親なんじゃないかと。
 もちろん、その話でもおかしな所はある。
 たとえば、なぜ、彼女とぼくの結婚を目的としていたのか。
 彼女とはそれまで全く面識はないし、また、うちの両親も平凡なサラリーマンで、特に政略結婚にする理由もない。
 あるいは、彼女がどこかでぼくを見かけて、一目惚れして(これはあまり自信ないが)、それで彼女に甘いあの「両親」が、妙な設定の元にお膳立てしたという考え方もできる。
 だが、それだったらなぜこんな妙ちきりんな設定なのだ? こんなSFじみた嘘っぽい話、よけい信じられなくなってしまうところだと、彼らは考えなかったのだろうか。家族揃ってSFオタクじゃあるまいし。それとも結婚後のぼくに対する主導権を握る為なのだろうか。ホテルの後継者を作るために?
 すると、やはり、時間警察云々という話は本当なのだろうか。
 あの部屋で見せられた資料とやらも、それっぽく見えたし、ディテールも凝っていた。彼女や、あのお偉方らが口にしたセリフも、実にリアルで、それ以上にややこしかった。演技だったら少々長いセリフも出来ようが、あの場合は、ぼくの台本はないのだから、対応する彼らのセリフは台本にあるものとは言い難い。演技だったら、よほど即興劇の得意な一家と言うことになる。
 なら、彼女らのいっていることは本当のことなんだろうか…。
 「なに、考えているの?」
 ベッドの横で寝てた彼女が、少しだけ身体を寄せてきてつぶやいた。
 「いや、大したことじゃないよ」
 「ほんと?」
 「うん」
 そう、大したことじゃないような気がしてるのだ。ぼくの人生にとっては。
 それが本当に時間犯罪だったのか、それとも単なるペテンだったのか、そんなことどうだってよくなっていた。
 結論から言えば、もはやぼくにとって彼女は、かけがえのない存在になっていた。
 実際、それでうまくいってるし、彼女さえそれで良ければ、一向に構わない。
 時間警察風の言い方をすれば、
 今のぼくにとって重要なのは、
 「何か」ではなく「誰か」なのだから。



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