はばたく、翼

 帰国客でごった返す到着口のロビーで、人待つ様子の褐色の翼。
 立花天授子だ。
 その「はねびと」が呟いた。
「那津海ちゃん……まだかなあ」
 すると、その隣にいた男性――防寒着の下から黒い背広が見えている――がちらと腕時計に目をやり、答える。
「この時間ですと、もう機体は到着しているはずですから、間もなくお見えになると思います」
 その言葉へ軽く相槌を打ってから再び口を開いた天授子。
「はあ、ドイツかあ。どんなトコなんだろ、那津海ちゃんの故郷って」
 姿勢こそきちんとしたままだったものの、黒服の男はほんの僅かに表情を緩めた面を彼女へ転じ、答えた。
「南の方だそうですから、山の多いところではないかと」
「ドイツの南って、アルプスですよね? じゃ、ハイジみたいなのかなあ」
「……あれはスイスの話ではなかったかと思いますが」
「那津海ちゃんトコもヤギとかいるのかなあ? 何か可愛い」
 という言葉にたまらず男が苦笑を浮かべたところで、ゲートの向こうから乗客と思しき人の姿が見えはじめる。
 男は緩めていた表情をすい、と引き締め、そのゲートの方へ視線を送った。そのまま何かを見定めているようだったが、やがて――視線はゲートの方へ向けたまま――ぽつりと言った。
「……お嬢様と同じ便の方々のようです」
「……そうみたいですね」
 天授子もそう答えると、視線をそれらの人々へ注意深く送っていく。
 やがて、その相手を探し当てたらしい彼女が声を上げた。
「那津海ちゃん!」
 平小路那津海だ。
 いかにも重そうに荷物を曳きながらゲートへ姿を見せた彼女が、その声にすっと視線を向けてくる。
 それを見た天授子は嬉しそうに顔をほころばせ、さらに言葉を言い募ろうとするが、しかし次の瞬間、声をかけた相手の面にさっと浮かんだ昂奮の色に意外なものを感じ、言葉を飲み込む。
 その、物静かで理性的な印象とは裏腹な表情のまま、那津海は足早に進み出てきた。ついきょとんとしたままの彼女の、ついに目前にまで歩み寄ってくるなり、荷物を放り出すとその両手で彼女の手を掴み、言った。
「立花さん! 私、これで良かったの」
「へ!? な、何が?」
 唐突なその言葉に困惑する天授子。
 しかし、那津海はさらに言い募る。
「私の翼はこれで正しかったの。この姿で正しかったのよ」
 そう言うと、背中の――髪と同じ色をした、片方だけの――翼を僅かに開いて見せた。
 その青みがかった黒い翼へちらと目をやり、問い返す少女。
「た、正しいって?」
「ええ。私は出来損ないじゃないの。出来損ないじゃなかったの!」
 ついには手を放し、困惑する少女へいきなり抱きついてきた。
「私の翼はこれで正しかったの! これが本来あるべき姿だったのよ!」
「ちょ、な、那津海ちゃんくるし……」
 思わず身もだえする彼女と、
「お嬢様! ……外のお客様にご迷惑です」
 という黒服の男の声とによってようやく、那津海は我に返った風を見せる。いつの間にかその翼は大きく開かれており、傍らを通りすぎていく人々がさも迷惑そうに顔をしかめ、あるいは苛立たしげに睨みつけるような一瞥をくれていた。
 慌てて翼を畳むと、身を離して、目を伏せる。
「……ご、ごめんなさい、つい興奮しちゃって……」
「う、ううん」
 と首を振る天授子ヘ向け、はにかんだような微笑を浮かべて彼女は言った。
「詳しい話は後でするわ」
「うん」
 と少女が頷いた時、放り出されていた荷物をいつの間にか手にしていた黒服の男が軽い会釈とともに言う。
「……それでは、車を回して参ります」


 動き出した風景の中で那津海が口を開いた。
「……私がドイツへ行ったのは、お父様の故郷を自分の目で見てみたいと思ったから、というのは、もう言ったと思うけど」
「うん」頷く天授子。
「だから、清正さんとお迎えに来たんだし」
「ええ、ありがとう」
 そう言って微笑を浮かべると、再び口を開いた。
「お父様からは、何も聞かされていなかったし、それどころか、私がドイツへ行くって言ったらものすごく不機嫌になってしまわれて、それで実は……少し気まずくなっちゃったから、実は向こうのこと、何も知らないまんま行くことになったの」
 それを聞いて、彼女は驚いたように少し眼を見開く。
「え? じゃあ那津海ちゃん、今お父さんと喧嘩してるの?」
「……喧嘩というほど、大袈裟でもないんだけど、まあ」
「……そっか。大変だね」
 と、恰も自分のことででもあるかのように神妙な面持ちになって呟くように言った彼女に向かって、
「そうでもないわ。どうせ仕事でいないと思うから。……でしょ?」
 と、後の方では運転席へ向けて問う。
 すると、――視線は前方へ向けたままながら――清正は頷いた。
「……はい。昨日からアメリカへご出張でいらっしゃいます」
「……ほらね」
「う〜ん……」それを聞いた彼女は、何となく釈然としないような表情で首を傾げる。
「何かすっきりしないなあそういうの。……何となくだけど」
「ふふ、ありがとう」
 そんな彼女へまたしても微笑とともに言葉を返すと、那津海は言葉を紡いでいく。
「……だから、何も判らないまんまドイツへ、お父様の故郷へ行ったの。ミュンヘンから何時間も電車に乗って、そこからまた何時間もバスを乗り継いで、ものすごい山奥へ入っていったところの小さな町だったんだけど、そしたら、その……そこに……」
 と、その面にまたしても――空港で見せた――昂奮が浮かびかける。
 天授子は何事か声をかけようとするが、結局黙ってその面をそっと見やっていた。
 しばしの沈黙を経た後、声が発せられた。
「……実は、お祖父様、まだ生きていらっしゃったの。……その、お祖父様の翼が……私と一緒だったの」
「え!?」
 と、思わず声を上げる彼女へ、那津海は頷きながら告げる。
「そうなの。お祖父様の翼も、私と同じ隻翼だったの」
「お祖父さんとおんなじ翼……」
 呟くように繰り返す彼女からすいと視線を外すと、やや俯き加減に言葉を続けた。
「……私、ずっと自分の翼は遺伝上のミスでこうなったんだって、思ってたわ。出来損ないの『はねびと』なんだって、ずっとすっと気になってた……」
 しかし、すぐに返された、
「そうかなあ? そんなことちっとも気にする必要なんかないと思うけどなあ。だってあたし、那津海ちゃんのこと出来損ないだなんて思ったこと一度もないもん。とっても綺麗だし、すっごくよく似合ってるし」
 という言葉に思わず顔を上げる。
「……」
 その沈黙を他所に、彼女は続けた。
「それに那津海ちゃん、すっごく頭良いしスタイルも良いし。……それにその、胸だって大っきいし」
「ば、莫迦!」
 と、那津海は怒ったような声を上げる。
 その仕草を知ってか知らずか、彼女はなおも言葉を続けた。
「良いなあホント。あたしってばチビだし、スタイルも良くないし、すっごく羨ましいもん」
「やめて!」
 照れたように頬を上気させながら顔を伏せると、やがて顔を上げてその顔をねめつける。
「……もう! 話が逸れちゃったじゃない」
「ごめえん」
「ホントにもう……」ぼやくように独りごちるも、その表情には――声色とは異なり――嫌がっているような色は感じられない。
 軽く息をついてから、言葉を続ける。
「……それで、初めてお会いしたお祖父様のおっしゃるには、お祖父様の家に代々伝わる紋章に合わせて、最初からこういう隻翼を生やすことにしたんだって」
 それを聞いた彼女は小首をかしげた。
「え? お祖父様の家って、那津海ちゃん家のことでしょ? 那津海ちゃん家にそんなのあったかなあ……?」
 それを見て那津海は頷いて答える。
「家にはないわ。お父様が、そんなお祖父様のことを嫌ってて、日本へ来るときにみんな置いてきたそうだから。……でも、おかげで今は理由が判ったわ。どうしてお父様が私のことを嫌っているのか、目を合わせて話そうとしないのかが。……当然ね、私を見るたびに捨ててきたはずのお父様の過去を見せつけられるんですものね」
 自嘲めいた響きを帯びるその言葉に、天授子はふいに真顔となった。
「那津海ちゃん……」
 それに向かって、一度息をつき、「大丈夫」と軽く頷いてやってから、続ける。
「……正直、まだすぐには好きになれないわ、この隻翼は。……でも、お祖父様にお話を窺って、この翼の意味を知ったときには、少しすっきりしたわ」
「翼の意味?」
「ええ。……お祖父様の家に伝わる紋章の『隻翼のアホウドリ』というのは、十字軍遠征に参加した遠いご先祖が、そのアホウドリに命を救われたことに由来してるんですって」
「へえ、ご先祖がアホウドリに? でもふつう、鳥って……そのう……」
 天授子は後半で言いにくそうに口ごもるが、彼女はしかし平然と答える。
「そうよね。ふつうの鳥なら、片方だけしかないんじゃ致命的よね。……さすがにそこまではお祖父様もご存じなかったみたいで、詳しいことは判らなかったわ。でもそれ以来、お祖父様の家ではその奇蹟に感謝して紋章を変えたんですって」
「そうなんだ……。あ、でも」
「そうよね。ふつうアホウドリっていうと白いわよね。……それも理由があったの」
「どんな?」
「それは、お祖父様の家が代々仕えてきた王家の最後の当主が亡くなられたとき、喪に服するために色を黒に変えたらしいの」
「なるほど。日本でもお葬式の色は黒だもんね」
「……少し違うと思うけど」
「そうかな。へへ」
 と笑う彼女に釣られたように、那津海もまた微笑を浮かべる。
 しばらくの間沈黙が続いた後、天授子が切り出した。
「……ねえ那津海ちゃん。先生んトコ、寄ってかない?」
 那津海は僅かに首を傾げながら問い返す。
「先生のところって、お店?」
「うん」
 と頷く天授子に対し、
「お店って言っても……」
 と、那津海の表情には訝しみのそれが加わっていた。
「まだ開店前でしょ」
「でも先生たち、いつもいるじゃん」
「当たり前でしょう、開店準備をなさってるんだから。……ご迷惑よ」
「ヤダ、遊びに行ってるんじゃないよう? お手伝いだよ。新作のモニターとか」
「……それが迷惑なんじゃないかと思うけど」
「もう、ひどい!」


 すっかり葉っぱの落ちた街路樹だが、その枝先にはよく見ると小さな包芽が育ちつつあるのが認められた。すり減った石畳の歩道や古めかしい建物が数多く建ち並び、レトロで落着いた空気の流れるその通りに面した、同じ外観のそれが幾つも並ぶ建物の内の一棟。外壁こそ古びた赤煉瓦でありながら、屋根材や窓枠などに真新しい素材が使われており、つい先頃に大規模な修築が行なわれたであろうことを窺わせていた。
 その大きな建物の一角、カレンダーの裏紙であろうか、「準備中」と手書きで大きく書かれた紙の貼られた扉の奥で聞こえるのは、2人の女性の声である。
「……で、どうよ京? 何か思いついた?」
「……全然。……まつりちゃんは?」
「右に同じ」
「はあ……。こんなにてこずるなんて思わなかったな、正直」
「……右に同じ」
「……」
「……」
 溜息とともに途切れる会話。
 しばしの沈黙を経て、会話は再開された。
「……ま、根つめても仕方ないし、取りあえず一休みすっか?」
「そうだね。……お茶にでもする?」
「じゃ、カモミールブレンド」
「判った」
 と言って京が立ち上がったその時、店の扉が押し開かれる。
「こんにちは!」
 と、元気よく響く声の主に2人は視線を向けた。
「立花さん! ……それに平小路さんまで。どうしたの?」
「おや、少女たち。いらっしゃい、どうしたの?」
 それらの問いに、先に店内へ足を踏み入れた天授子が答える。
「那津海ちゃんが帰ってきたんで空港まで迎えに行ってたんです。今はその帰り」
 それを聞いた京は得心したように頷いた。
「ああ、そういえば平小路さん、ドイツへ行ってたんだっけ」
「……はい。さっき、戻ってきました」
 と頷く那津海へ、京は声をかける。
「そう。……まあ、まずはお帰りなさい。疲れたでしょ? 今、ちょうどお茶にしようかと思ってたところだったの。あなたたちもどう?」
 と言って2人を顧みる。
 さっそく言葉を返してくる天授子。
「ありがとうございます! わーい」
 微笑とともにまつりも声をかけた。
「まあ、とりあえず坐りな? 椅子はどれでも使っていいからさ」
 那津海はきちんと頭を下げて答える。
「……ありがとうございます」


「で、どうだった? ドイツ」
 というまつりの問いに、
「はい。……とても綺麗なところでした。行くまでは大変でしたけど」
 と、那津海は頷きながら答えた。
 そこへ、ティーセットを持った京がテーブルへ戻ってくる。
「大変って、何処へ行ったの?」
 視線が京へ移った。
「ミュンヘンから南へ行ったところです」
「ミュンヘンから南っていったら、アルプスの方じゃない。……なるほど、じゃあ綺麗でしょうね」
「はい。とても」
 会話の間中も京は手際よく配膳していき、みなの前へ置かれたカップへ淡い色合いのハーブティーをそっと注いでいく。清涼さと甘さを兼ね備えたような上品な香りがたちまち辺りに拡がった。
「……はい、お待たせ」
 ポットを置き、椅子へ腰を下ろした京に声がかかる。
「サンキュ」
「わあい、ありがとうございまあす」
「……ありがとうございます」
 めいめいの声が聞こえた後、しばしの沈黙と物音が訪れた。
 直後に発せられる、再びの声。
「うう〜ん、超おいし〜!」
「相変わらず奥行きが深いねえ、京のブレンドは」
「おいしい……」
「ふふ、ありがと」
 と、はにかんだような笑顔を浮かべた後で、京はその視線を那津海へと向ける。
「……それで、何があったのかしら? ドイツで」
「!」
 驚いたように視線を向けてくる彼女に向かって、京はなおも言葉をかけようとするが、その時。
 ちょうどハーブティーを口に含んだところだった天授子が大急ぎにそれを飲み下すなり、殆ど椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がると、京へ向かって身を乗り出してきた。
「……そうなの! 先生? 那津海ちゃん、そこでとっても良いことあったんだって!」
「良いこと……?」
「た、立花さん……」
 困惑の表情を浮かべる那津海を尻目に、彼女は得意げに言葉を続ける。
「那津海ちゃん、そこでお祖父ちゃんに会ったんだって。そしたら、そのお祖父ちゃんも那津海ちゃんとおんなじ『はね』だったんだって! 那津海ちゃんの『はね』、これで良かったんだって!」
「まあ、そうなの?」
「へえ、良かったじゃん」
「……あ、ありがとうございます」
 彼女からの報告を受けた2人の笑顔に、那津海は照れたような面持ちで答えた。
 すると、自分のことのように嬉しげな表情で天授子が再び口を開く。
「やっぱり那津海ちゃん、すごいよね先生。那津海ちゃんってばいっつも、自分のこと出来損ないとかばっか言ってたけど、やっぱりそんなことなかったんだよね」
「立花さん……」
 何か言おうとする那津海だったが、しかしそれを聞いた2人は頷きつつ答えた。
「まあ、そうだね。すずちゃんの言う通り、それは私たちもそう思ってたかな。……正直、ちょっと気にし過ぎじゃないのかな、って感じだったからね」
「ええ、そうね。……とにかく、良かったわね。平小路さん」
「ありがとうございます、先生」
「……ところで、聞いてもいいかしら? 平小路さん」
「は、はい、何でしょう?」
「その、あなたの翼がそうであったことにどんな謂れがあったのか、なんだけど」
「……!」
「ひょっとしたら、まだ答えにくいかもしれないけど」
「ああ、それなら――」
 と、口を差し挟みかけた天授子を、那津海は片手を挙げながら制す。
「……ごめんなさい、立花さん。けど、自分で言いたいから」
「……うん、判った。ごめんね、厚かましくて」
 そういうときは「差し出がましくて」って言うべきだわね、と思わず内心で考えてしまった京は、浮かびそうになる微笑を必死で押し殺しながら言葉を待ったが、しかし聞こえてきたのはまつりの声だった。
「謂れって?」
「うん」
 頷いて、視線をまつりへ向ける。
「こう言うと何だけど、平小路さんがこんなに気にしていたくらいだから、普通なら、たとえば立花さんのように、両方揃った姿であることを望む筈よね? それを敢て、平小路さんのお祖父様がこのスタイルであろうとしたのには、きっと何かよほどの理由があってのことなのかな、って思ったの。……ごめんなさいね? ――とその視線を那津海へと転じつつ――でも、ちょっと気になったもんだから……」
 いつものように、心持ち伏せ気味の面でその言葉へ耳を傾けていた那津海は、聞き終わるとその面を上げ、京を真っすぐに見据えつつ答えた。
「……いえ、良いんです。それは、私自身がいちばん気になってたことなので。……それは、お祖父様の家に代々伝わる言い伝えから来ているんだそうです。お祖父様の遠いご先祖が十字軍に加わって、その時に一羽のアホウドリに命を救われたらしいんですけど、その時のアホウドリっていうのが、片方しか翼のない隻翼だったんだそうです。それ以来、その時の恩を忘れないように、紋章のデザインを『隻翼のアホウドリ』に変えたんだそうです」
「そうだったの……。とっても素敵な伝承ね」
 それを聞いて、京はうっとりとしたような表情を浮かべて微笑うが、まつりはしかし何かに気づいたかのように身を乗り出し、問いかける。
「……ちょっと待って。紋章があるってことは、那津海くんの家ってなかなか由緒ある家柄ってことかい?」
 那津海は頷いた。
「え、ええ。そうみたいです。……それで、そのことなんですけど、実は一つ、言いそびれていたことがあるんです……」
「言いそびれてたこと?」
「? 何それ」
「実は……その……。私、そのお祖父様から、家門と領地を譲られちゃったんです……」
「ええ!?」
「おお、すごいじゃん」
「へ? 何それ? どういうこと?」
「那津海くんが貴族になったってこと」
「貴族って、社交ダンスとか?」
「何それ?」
「え? 貴族って、社交ダンスするんでしょ?」
「そりゃあするだろうけど、別にそれだけって訳じゃあないよ」
「そうなんだ。あ、じゃあ、お城とかもあるの?」
「まあ、必ずってことはないけど、あるんじゃないかな」
 そう答えて、まつりが視線を那津海へ向けた。
「……ええ、まあ」
 と頷く那津海。
 それを聞いた天授子は感心したように目を丸くする。
「すごおい! やっぱ那津海ちゃんすごいよね」
 そう言うと席を立ち、身を乗り出すようにして那津海の両手を掴んで言った。
「すごいすごおい! 那津海ちゃん格好良い〜!」
「ちょ、ちょっと……」
 その少女たちの傍らで、これまで黙然として何事か考える風でいた京は、やがてふと顔を上げ、少し身を乗り出してまつりに――やや小声で――話しかける。
「……ねえ、まつりちゃん。あの件なんだけど……」
 その表情を見たまつりは、彼女が何を言いたいのかすぐに察しがついたらしく、少女たちを見つめていた時の笑顔とともにあった表情をすいと引き締め、真顔になった。
「……うん」
 と頷く彼女に、
「今の話、使いたいんだけど……」
 と切り出した京の言葉へ彼女は、ほぼ間髪を入れることなく同意を見せる。
「うん、良いんじゃないかな。私は良いと思うよ。……でも、本人は何て言うかな?」
 このとき、2人の会話に気づいた天授子が、那津海の手を離し2人の方へ身を乗り出して問うて来た。
「? 先生、何の話ですか?」
 問われて、2人は一瞬お互いの顔を見やる。
 軽く頷きあった後、京が答えて言った。
「……ここの名前をね、実はずっと決めかねてたんだけど、やっと今思いついたのよ」
 それを聞いた途端、表情がぱっと変わり、いかにも興味深げに身を乗り出してくる天授子だったが、
「え、ホント? ……何?」
「……」
 しかし――少し離れていた――那津海もまた同様であったらしく、黙然としながらももの問いたげな視線を送っている。
 そんな2人へ代わる代わるに視線をくれつつ、京が発表した。
「……『Le Alba』ってのはどうかしら」
「『るあるば』?」
「……」
 2人とも訝しげに首を傾げる。
 京はもう一度言った。
「『ル アルバ』よ」
 前回の流暢な外国語のイントネーションではなく、はっきりとした日本語。
 しかし、それでも2人――特に天授子の方――はピンと来ていないようであった。
「……どういう意味?」
 すると、京は視線を那津海へ転じて、言う。
「『Albatros』の前半分」
 それを聞いた途端、那津海の面に驚きと訝しみの色とが浮かんだ。
「え……!?」
「アルバトロ……?」
 と、なおも判らない風の天授子へ向かって告げる。
「……『アホウドリ』のフランス語」
 それでようやく、合点が行ったようだった。
「え? じゃあそれって」
「そう、平小路さんから採ったの。――そう言うと京は改めて那津海へ向き直り、問う――……迷惑じゃない?」
 その彼女の面に名状しがたい色が上ってくる。
「……そんなこと、ありません」
「正直に言ってくれて良いのよ? 無理強いはしたくないから」
 頷きながらまつりも口を開いた。
「私ら、今の話ってばとっても綺麗で、良い話だと思ったんだ。だから是非、使わせてもらいたいんだけど、ね。……当の那津海くんに不愉快な思いさせてまで使うつもりはないからさ、それは遠慮なく言って良いよ」
 しかし、那津海ははっきりと首を振りつつ答える。
「いえ。本当に、不愉快なんかじゃありません。……むしろその、嬉しいです。……ちょっと恥ずかしいけど」
 2人はまたしても一瞬お互いの顔を見やり、頷きあった。
「じゃあ、良いのね?」
 という京の問いに対し、
「はい、もちろんです」
 と、しっかりと頷きながら答える那津海へ突然、
「すっごおい! 那津海ちゃん格好良い〜!」
 と言いながら天授子が抱きついてくる。
「ちょ、ちょっと……!」
 面映ゆげに身をよじる那津海。
 京とまつりは目を丸くし、次いで声を立てて笑う。
 笑い声はなかなか収まりそうになかった……。

『はばたく、翼』終


あとがき

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